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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

沖縄を満喫

2011-08-28 09:30:15 | 
 
 ANAスカイホリデーというのを利用して、先週家族で沖縄へ。(カミさんと20年ほど前に行って以来)

 首里城や国際通り、美ら海水族館に今帰仁城跡に古宇利大橋と、主だった所を見て回ったほか、2日目は海のレジャーを丸一日楽しむ。水中展望船やシュノーケリング、そして「ドラゴンボート」といって、ゴムボートに乗って水上バイクに引っ張ってもらうもの。他にもいろいろやったけど、スピードそこそこあるしかなり沖合いにも出るし、これが一番面白かった。(「お父さんが一番楽しんでた」とカミさんたち)

 最終日はさとうきび畑を抜けて「ひめゆりの塔」へ。さすがにしんみりしてしまったが、今僕らが楽しめるのはああいう時代を経てきたから、というのを子供たちにも伝えたいと思っていたので、雰囲気だけでも感じてほしかった。

 沖縄は全体的にゆったりした感じで、その分のんびりできた。料理もおいしくて(海ぶどうはなかなか)、伝統芸能を見ながらの夕食も良かった。
 台風で飛ばされるためか屋根瓦というのは少なく、日差しが強いせいか建物の塗装は控え気味で、街の風景は地味な感じ。また各家々の門には、口が阿吽の形をしたシーサーが飾られてあった(魔除けらしい)。それと、『いのちのまつり』にも出てくる沖縄独特のお墓もあちこちに見られた。
 
 けっこう暑かったにも関わらず、グアムと同じくセミが鳴いていないのは不思議な感じがした。
 ともあれ、無事帰ってこられたのは何より。

 あそうそう、テレビも新聞も見ていなかったので、アメリカで地震があったことも島田紳助が芸能界引退したことも、あとになって知ったのでした。(紳助は才能あるだけに、実にもったいない。いつの日か復帰を)

 〔写真は、泊まった「ANAインターコンチネンタル万座」〕

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正常と異常と

2011-08-21 06:05:11 | こころ
 
 法事やら何やらで、久しぶりに兄弟やら親戚に会う機会が増えている。賑やかだったり静かだったり、当たり前ながら一族でもいろんなのがいるなあ、と感じているところ。
(どちらかと言うと、我が一族はマジメなのが多い)

 多かれ少なかれ、人は誰しも奇妙な一面を持っているもの。クレッチマーという学者の説によれば、人間の性格には6つのタイプがあるという。下の左に並べたのがそれで、極端になるとそれぞれ右のような病気になるそうだ。
   神経質 ― 神経衰弱
   粘着質 ― 癲癇
   顕示質 ― ヒステリー
   偏執質 ― パラノイア
   分裂質 ― 統合失調症
   循環質 ― 躁鬱病
(正確に調べたわけではないが、僕の場合、神経質と分裂質が強いように思う)

 全くの平均的な人間も、可能性としてはあるだろう。しかしそれはそれで、どこにも偏っていないという意味で通常とは違うため、「異常」と言えないこともない。人格円満という人だって、神経症気味であったり躁鬱気味であったりするのかもしれない。
 また、異常者たちの中にポツンといる正常者ってのは、おそらく「異常者」扱いされるに違いない。とすると、何が正常で何が異常なのかってのは、当てる物差しによって異なってくるということになる。
 カウンセラーが患者の妄想に付き合わされるうち精神状態おかしくなるというのも、よくありそうな話。レクター博士に対するFBI訓練生、あるいはジョーカーに立ち向かうバットマンも、そう。
 ネクラな奴でもお見合い用の紹介状では「堅実な人柄」となるだろうし、チャラチャラした奴なら「明るい方」となってしまう。死んだ人間が良く言われるのも同じ理屈。
(ところでオリエンタルラジオの藤森って、実はものすごく真面目なのかもしれない)

 程度の差こそあれどんな人間にもどこか変な所があり、そこだけに焦点を当てれば「変な奴」となってしまう。誰が総理大臣になろうが、人間である限り「変な所」はあるわけで、そこが攻撃の的にはなる。はっきりとした性格/主体のない〈大衆〉にすれば、それは断然有利な戦いであろう。
 でもいろんな人がいてこそ人間の多様性、社会の秩序というのがあるのだから、他人がどう思おうがどう言おうが、自分が感じたこと自分が考えたことが〈正解〉なのだろうと思う。おそらく〈神の視点〉からすれば、ね。
(と僕が考えてここに書いているけれども、変てこりんに思う人もいるかもしれない)

 …夏のお休み、ほとんど何の役にも立たないこんなことを考えています。
 

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サラリーマンの妻たちへ

2011-08-14 12:34:03 | エッセイ
 
 お盆休みでお父さんも家族と一緒にいることが多いかと思う。仕事も忘れてひと息ってところだろうが、こういう時だからこそ言っておきたいこと。

 サラリーマン(あるいは役所勤めでもいい)の旦那が家に帰ってきて、仕事の話を得々とするようなら、その旦那はあまり大した仕事していないと考えていいと思う。
 若いときならともかく、ある程度の年になれば、責任ある立場に置かれることになる。苦しい判断をせざるを得ない場合や扱いづらい部下に頭を悩ませる場合もあるだろう。
 特に、困難な業務をやっていればいるほど、妻や子供たちに直接的な話をすることは難しくなる。するにしても一般化された、たとえば「ああいう風な考え方しちゃいかん」とでもいったものになるだろう。

 「あのクルマの設計はお父さんがやったんだ」とか「あのお菓子を開発したのはお父さんなんだ」と子供に自慢できるのは、ごくごく限られたお父さんたち。世のほとんどのお父さんは、その立場立場で、自分の職務を一生懸命遂行しているし、それはいちいち人に自慢するようなものでもない。
 だから奥さん方、お父さんが口を開くまで、仕事の話は出さない方がいい。「会社どう?」なんて、学校行ってる子供じゃないんだから。

 ついでながら。
 たとえば会社休んで、ケータイも置いたまま遊び行くことだって映画見に行くことだってあるだろう。それをカミさんに伝えておいたとして、家にかかってきた会社からの電話に「夫は映画行ってます」なんて答えたとする。そうすると会社での旦那の立場が危うくなるわけだから、そういう回答は妻であればしてはいけないのはもちろんだけれども、そんな正直な妻であれば、「ちょっと役所行ってくる」とか言っておいた方が、旦那としては正しいのかもしれない。

 さらについで。
 職場なり家庭なりにかかってきた電話に「○○はトイレです」と答えるのはどうかなあ、と思っている。せめて「席を外しています」でどうかと。
 

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ホイッスルが鳴るまでは

2011-08-07 09:49:55 | こころ
 
 W杯優勝フィーバーもやや落ち着いたとはいえ、なでしこリーグには多くの観客が詰め掛けているそうだ。頑張った甲斐があろうというもの。
 彼女たちに共通するのは、ファウルだと思って気を抜いたり、オフサイドだと思って足を止めたりしないこと。ホイッスルが鳴るまで集中してプレーしている。(余談ながら、審判にアピールばかりしている選手ってのは、甘ったれているようで好きになれない)

 NHKの教育、いやEテレで朝6時55分から「0655」という番組をやっており、その中に「進め!よんきびう隊の歌」というのがある。

 実際見てみないことにはその脱力系の良さは分からないのだが、カメやカブトムシ、ペンギンなどの動物が一文字ずつ書かれたプラカードを持って行進するというもの。
 歌詞をちょっと書いておくと、
  ♪おれたちは進む 胸に使命いだいて
   調子合わせ進む しぶいビートに乗って
   遅れるなカメ カブトムシ カピバラ
   とにかく前へ進め 号令かかるまで
 そしてそのあとは、
  ♪そろそろ鳴るか ホイッスル    と続く。

 このカメたちと同じく、僕らも仕事にしろ人生にしろ前に進むしかない、〈審判〉がホイッスルを鳴らすまで。
 僕もまた一定の責任ある職務に就いているわけだが、上司なり会社の上の方から「あいつじゃダメだ」と言われるまでは、仕事やらざるを得ない。それはいちいちアピールするわけじゃないけれど、仕事ぶりってのは黙っていたって分かるもの。
 「辞めろ」と言われるまでは、進むしかない。

 人生だって、誰が審判なのかは知らないけれど、ホイッスルが鳴るまでは生きなきゃいけないだろうと思う。自分でプレーを止めるのではなく。
 それにしても、松本山雅(元横浜Fマリノス)の松田直樹選手は気の毒。ファンというわけではなかったが、あまりに早すぎるホイッスルだった。

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