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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

人はなぜ生きるのか(下)

2006-11-26 21:33:31 | こころ
 
 前回、支えて支えられて、という話をした。世界的な発明・発見も、ずーっと遡れば僕らの力がどこかで役に立っているはずだ、と。
 ただ、話はあくまでも、現時点での一人ひとりの範囲に納まっていた。
 そこで次に、発明・発見で世の中が便利になり、難しい病気が克服され、宇宙に飛び出すようになって、そのあと人類は、ということを考えてみたい。(すごい権力者になったり、世界一のアイドルになったり、ワールドカップで優勝したり、ノーベル賞をもらったり、で、それで、ってことなのだが)

 僕ら人類は、その長い長い歴史の中で、単純な生物から進化をしてきた。水の中から陸上へ、そして空へ、宇宙へと、活動範囲を拡げている。それは、垂直方向だけでなく、水平方向にも展開していることを意味する。自分の村から隣りの村へ、次に山を越えた村へ、島全体へ、そして海を越えて別の国へ…。
 隣村の人間、遠くの村の人間、海外の人間、と出会う相手がどんどん増えていく。そのたびに、価値観の違いで争いが起きたり、新たな価値観が生まれたりしたことだろう。そうして人類は成長してきた(はずだ)。

 で、これからどうなるのか。こっからはちょっとSFっぽくなってしまうが仕方ない。
 別の星の生物。距離的・時間的な問題があって、ちょっとやそっとじゃ出会えないだろうが、次に人類が出会うとしたら、いわゆる異星人しかない。
 その時、だ。「チキュウジントイウヤツラハ、コンナコトモワカラナイノカ」と思われないようにしないと(ひょっとしたら、12歳の子供扱いされてしまうかもしれない)。それが、とりあえずの人類の目標と言っていい。そのための土台の土台の(中略)土台として、僕らの生活や仕事がある。科学的・哲学的・文化的…いろんな面において。
 ところで異星人との遭遇と言うと、侵略だとか食う食われるとかいう話になりがちだが、実際そんなことはまずなくて、『未知との遭遇』みたいな、穏やかな出会いになろうかと思う。侵略云々は、話として映画になりやすいから、そうなっているだけのこと。

 さらに言うと、今度は宗教的になってしまうが、究極の出会いは『2001年宇宙の旅』のような、いわゆる〈神様〉や〈仏様〉あるいは〈宇宙意思〉との出会いということになる。その時、どう判断されるか。あるいは、どう感じるのか。個人的には、神様とかいうのは、その辺にごろごろ(失礼!)しているものだと思っている。数学上の真理が、発見される前からそこにあるように、普段は気付かないだけなのかもしれない。だから、異星人に遭うよりも、こちらの方がずっと簡単だとも言える。
 これは、死後の世界とも通ずる。「死んだらおしまいなんだから、楽しめばいいじゃん」という考えごもっとも。でもでも、生まれ変わりというのもあるかもしれない。物質的・精神的に汚すだけ汚した世界に、また生まれ変わるとしたら、それも、たとえば汚した川の魚に生まれ変わるのだとしたら…。

 …と、これは僕の、今現在考え尽くしたもの(何か大きく抜けているような気もするが)。20年30年経ったら、また全然違った考えになっているかもしれない。ひょっとしたら、「そんな小理屈はどうでも良くってさ、生きてりゃいいんだよ、生きてりゃ」と、突き抜けているのかも。それは自分でも、楽しみなこと。

(もんのすごくデカいこと書いてしまいました。来週からどうしよう…。(++;))
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人はなぜ生きるのか(上)

2006-11-19 09:14:38 | こころ
 
 古い話で恐縮だが、2月のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に東大助教授の古澤明という、量子テレポーテーションの世界的な研究者が出ていた。
 その彼がアメリカ留学時代、大リーグの試合を見に行って、野茂英雄選手のホームラン(打たれた方ではなく、打った方)を目撃したんだそうだ。その頃、彼は研究がうまくいかず行き詰まっていたそうだが、そのホームランに勇気づけられ、頑張って研究が進むようになったとのこと。
 そして今、その分野で世界でも最先端を走るようになっている。

 これはまあ極端な例かもしれない。
 これで古澤氏がさらに大きな成果を上げ、量子コンピュータの実用化など、世の中に多大な恩恵をもたらしたとしたら、野茂投手は、それに大きな後押しをしたということになる。(しかし当の野茂投手はそんなこととはつゆ知らず(知っていても例の飄々とした感じで受け流すだろうが)、野球に専念していることだろう。)
 スポーツ選手は、勝ったの負けたのと、世の中に生産的なことをもたらすわけではなく、体を張って娯楽を提供しているだけであるが、上の例のように、たとえば重い病気の子を勇気づけたり、生き方を学ばせてもらったり、人の動かし方など組織の運営方法の参考になったりと、実用的な面でも、見る人の役に立っていることは確かだ。

 で、僕ら普通のサラリーマンの場合はどうか。仕事をしていれば、何らかの製品・サービスを世の中に提供していることに携わっているはず。
 去年8月の「サッカー日本代表戦を見ながら」でも話をしたように、代表選手を支えているのは、監督やコーチなどのチーム関係者や協会、それにサポーターだけではない。食事を提供するコックも、その食材を提供する業者、それを生産する農家・漁師も、遠巻きながら選手をサポートしている。
 製薬メーカーに勤めていれば、自分の会社の抗生物質や湿布薬が、スポーツ選手の回復を助けることだって、いくらでもあるだろう。自分とこのテレビ・パソコン・カメラ・自動車…意識するしないに関わらず、ありとあらゆる物が、たとえば日本代表選手を支えている。そして、その会社員の恋人・奥さん・子供たちは、その下で支えてくれている。さらにその子供たちも、誰かに支えられている。

 これは、相手がスポーツ選手に限らない。宇宙飛行士でも、政治家でも、有名歌手でも、大学教授でも、どこかで僕らは支えている。そして支えられた人たちが、宇宙で見事な実験をし、立派な政治をし、素敵な歌を歌い、見事な発見をする…。発見をした人はもちろん素晴らしいが、それはもちろん、一人ではできないものだ。
 ついでながらこれは、自然界の〈食物連鎖〉にも似ている。植物は草食動物のエサになり、草食動物は肉食動物のエサになり、そして動物の排泄物やら死骸は、やがて植物のエサになって行く。

 どんな人にも存在価値はある。どこかで支えて支えられて、人間は生きていく…。
(つづく)
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遺書

2006-11-12 08:42:20 | エッセイ
 
 題名にギョッとしてクリックされた方、驚かせて申し訳ない。今すぐ、あるいは来週のいついつに自殺する、という話ではありませんので。
 10年ほど前だったか、ダウンタウンの松本人志が『遺書』という、お笑いらしい本を出していたが、ああいうものだと思って下さい。ただ、半分はマジメなので、それをこれから話そうと思います。しばしのご辛抱を。

 人はいつか死ぬ。僕も40代だから、人生もう半分も残っていないかもしれない。事故やら病気やらで、突然死んでしまうかもしれない。
 有名になっているわけでもないし、すごい発明・発見をしたわけでもないし、社会的に重要な地位に付いているわけでもない。世の中そういう人がほとんどとは言え、人生の中で得たものが、その人が死ぬことで消えてしまうのはもったいない。
 もちろん、その家族や仕事関係の人たちに、人となりや研究成果といったものは残るのだが、僕は、もう少し多くの人に別の何かを残したいと考えた(欲張りだが)。40年も生きていれば、何かしら世の中に役立つようなことは、身に付いているはず。

 だからブログを始めた。最初から言っているように、伝えたいことは伝えたい時にやっておかないと、〈その時〉は永遠にやって来ないかもしれないのだから。
 このブログは、僕の長い長い『遺書』だと言ってもいい。急に死んでしまっても、しばらくはこの世の中に残るに違いない。
 皆さんも、「どこそこ行って面白かった」だの「これで何万もうかりました」だので終わらせないで欲しい。何か物事に対し、自分なりに考え、自分なりの見方を盛り込んでおけば、それは世界にたった一つの意見となり得るのだから。

 ブログをやっている人は、20代30代が多いらしい。ならばちょっとだけ人生の先輩として、伝えられることはあるんじゃないかと思う。もちろん、僕より年上の人も読んでくれてるのかもしれないが、それはそれで、結構なこと。
 先輩が若い人に教える、というと、つい政治経済の話になって「世の中間違っとる」なんてことになりがちだが、僕はそういうのにはあまり興味はない。理系だからか、科学的な考え方、理屈に合った考え方、あるいはこんな考え方もできるんじゃないかってことを、伝えたいと思っている。

 と、小難しい理屈を並べました。相変わらずこんな感じでやって行きますが、これからもよろしくお願いします。

 それにしても、10代で遺書を書かざるを得ない子供たち…。何度も言うけれど、死んじゃあいけない!
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お米ができました

2006-11-05 09:25:02 | 実用
 
 3年ほど前から、庭で米作りというのをやっている。バケツで育てるという簡単なものだが、今年も“豊作”だったので、やり方を紹介しておきます。

①苗作り
 春、暖かくなってきたら(4~5月)、深めの皿に適当なスポンジを敷き、種もみ(もみ殻付きの米)をその上に5粒ほど乗せて水でヒタヒタにする。数日で芽が出るから、水を切らさないことにだけ気を付け、そのまま放っておくと、数週間から1ヶ月で12,3cmの苗になる。この間、日なたに出す必要はない。
②田植え
 次に、バケツに土(普通の土でいい)を厚さ5cmほど入れ、水面がその上3cmくらい来るように水(水道水で結構)を加えてかき混ぜる。土が落ち着いたところで、上記の苗を植え付ける。この際、スポンジにからまっている根っこを切らないように気をつけること。
③稲刈り
 あとは、水を切らさないよう、また苗が水没してしまわないよう、日当たりのいい場所に置いておくだけ。これで10月にはたわわに実った稲が出来るはず。もみ殻をむくのは大変だが、玄米のまま普通のご飯と一緒に炊いてから、戴く。色が他のお米と違うし、硬いから口の中でもすぐわかる。もちろん、炊かずに玄米をそのまま食べてもおいしい(肥料も農薬も使っていないから安心)。なお翌年のため、10粒ほどは残しておくこと。

 ところで、最初の種もみをどうやって手に入れるかだが、僕の場合、稲刈りの頃、少し分けてもらったのが最初。今からだと、来年の春先、農家か農協で種か苗をもらうという手も。(数名様になら、お分けできますが)

 スポンジの上で苗が育ってくると、どういうわけか朝、その先端に露ができる。きれいなものだし、何だか健康にいいような気がして、それをペロッとなめるのも、楽しみの一つ。

 1粒の種が、水と土と太陽と、そして半年間で50粒に。何の不思議なけれど。
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