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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

ナンセンス スタヂアム 5

2008-11-30 11:15:34 | 言葉/ナンセンス
 
 めちゃくちゃながら、言葉遊びなぞ。

・氷川きよし 水川あさみ 湯川まなぶ

・富良野 安曇野 津和野

・ト‐夢想屋、殺しアム、ミハエル美人

・覇気覇気 ←→ 青名西夫

・ドラえもんのポケットモンスターズインクレディブルハルクホーガン

・チューブにつながれ「点滴舞い」

・KAN『愛若Ⅱ』、せいくらべ「ちまきベタベタ兄さんが…」

・WOODEN UDON(木製のうどん)

・僕も彼女もミーハー

・生意気な後輩いじめ(コンパにて)
 「生イッキ! 生イッキ! …」

・Oh,hi!(おはよう!) 再見!(そいじゃ!)

 

  
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ふたたび北京へ

2008-11-23 09:21:03 | 
 
 やはり仕事なのですが、北京へまた行ってきました。

 前回3月と同じく、ホテルがオリンピックのメイン会場・国家体育場(鳥の巣)の近くで、10月から中に入れるというので行ってみた。
 入場料50元は、日本の感覚で言うと2000円くらいか。平日だったけど、1日1万人くらいは入っているみたいだった。地方から上京してきた人がほとんどのようで、僕ら外国人もちらほら。ああいうデカい設備は維持費が大変なのだが、充分まかなえるような気もする。

 隣りには国家水泳センター(ウォーターキューブ)もあって、夜のライトアップされているところも見ることができた。2つの施設の間は、幅100メートル以上の道路というか広場が南北に通っていて、ひーろびろしたものだった(うらやましい限り)。
 しっかし寒かった。寒気団のせいで日本も寒かったようだが、日が暮れると氷点下、最低気温はマイナス9度とな。ただ、現地の人に聞くと、例年そんなもんだそうだ。大陸性の気候、というか。

 雨もほとんどないようで、空気や地面は乾ききっていた。そのため車は一様にホコリっぽく、日本みたいにピカピカってのはほとんど見かけなかった。また、マンションの物干しも、ホコリかぶらないようにか、防寒のためか、サッシ窓で囲われていた。
 大気汚染もあるのかもしれない。ホコリなのかスモッグなのか、遠くが霞んでいたし。大気汚染あるいは渋滞を減らすため、日替わりで運転できない自動車を、そのナンバーで1割減らしているとのこと。きょうは末尾1番がダメ、あすは末尾2番がダメ、というように。

 オリンピック会場周辺はきれいに整備されていたけれど、むかーしながらのレンガ造りの家というのも所どころに。人の服装もまだまだ地味で、失礼ながら、なかなか垢抜けた感じとは言えなかった。
 ただ、やはりオリンピックの成功は自信になったようだ。

 高校生のころだったか、中国に憧れたような時期があって、いつか行ってみたいと思っていた。そんなことすっかり忘れていたのだが、それが実現したということで、ちょっと感慨に耽ってしまったのでした(何十年も経ってしまったんだけれど)。

 4日間ほど浦島状態になっていて、帰ってきたら元厚生事務次官襲撃なんて事件があったそうで、少々ビックリしているところ。
 来年はドイツへ、という話もあり、何か面白いこと見聞きしたら、また報告します。でもでも、仕事でなきゃあ、もっといいのにねえ。

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100年後は誰もいない

2008-11-16 08:51:22 | エッセイ
 
 NHK『篤姫』が好調のようだ。大河ドラマはもう20年ほど見続けているが、やはりその中でも上等の部類に入ると思う。女性が主人公ながらつい見入ってしまうのは、男性ファンならわかる心理だろう。

 その中で、徳川家茂に続いて孝明天皇、坂本龍馬が相次いで亡くなった。実際の死亡年も、順に1866年、1867年、同じく1867年だから、あの時代の主要な人物がほぼ同時期に亡くなったことになる。
 それから140年ほど経っているのだが、僕の生まれた昭和34年(1959年)から見ると、まだ100年も経っていない計算になる。歴史上の話だから、もっともっと前のことのように感じるのだが。
 逆に将来に目を向けると、この一文を読んでいる人間のうち、僕を含めておそらく誰も100年後は生きてはいないだろう。好きなタレントだって、嫌いな評論家だって、100年後はみんな死んでいるに違いない。これは皮肉でも何でもなく、必然のこと。

 よく言われることだが、今生きている僕らってのは、長い長い地球の歴史、あるいは宇宙の歴史から見れば、ほんの一瞬の間に「一緒に乗り合わせた」ということになる。つまりは〈縁〉っていう言い方もできるし、誰かの、または何かの〈引き合わせ〉ということなのかもしれない。
 これまたよく言われる、「あなたの今の状況は、あなたにぴったりのものなのです」という言葉も、あながちウソではないかもしれない、と、長いこと生きてると感じたりもする。
 いがみ合っても一生、仲良くし合っても一生。100年後は皆あの世に行っているんだから、どうせ生きるんなら機嫌よくね、とも。

 『篤姫』に話を戻すと、ほとんどなじみのなかった宮あおいはであるが、こんなにウマい女優だとは思わなかった。爽やかでかわいらしいし。
 宮あおい(=葵)、まさに徳川家の女を演じるために〈選ばれた人間〉だったのかも。
 そうそう、主役以上にこのドラマを盛り上げているのは、武家方の高畑淳子と公家方の中村メイコ。イヤ味な姑役の、憎らしいほどうまいこと。
 ところで、大河ドラマは2002年から『利家とまつ』『武蔵』『新選組!』『義経』『功名が辻』『風林火山』『篤姫』と、何となく女っぽいものと男っぽいものとが交互に放送されているように思う。来年は直江兼続という人物が主人公の『天地人』だそうだが、やはり硬派なものになるのだろうか。
 

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神はあるか

2008-11-09 09:13:15 | こころ
 
 オバマ氏がついに勝利した。第44代アメリカ大統領として、絶大な権力を得ることになる。
 ただ、現職のブッシュ大統領にしろ、その能力には限界というものがある。地球上でおそらく最も偉いとされる人間でさえ、全知全能の神にはなれないのだ(当たり前の話だけど)。

 たとえば神が、穏やかで厳かな者として一つの形態を選んだとする。そうすると、それ以外の形態はとっていないわけで、〈全能〉とは言えなくなる。また、どこかに存在していれば、当然ながらその他の場所には存在し得ないわけで、やはり〈全能〉とは言えない。
 だから神があるとすれば、それは姿かたちのないものとなる。(たしかイスラム教では、偶像崇拝を固く禁じていたと思う。ひょっとしたら、こういうのを考えてのことかもしれない)
 もし人間のような姿かたちをしているとしても、それは仮の姿であるに違いない(神の化身、仏の化身というのはあり得るだろう)。どんな姿かたちにも変えられないと、〈全能〉とはならないわけだし、さらには〈全能〉であれば「存在しない」ということも可能でないといけない。

 すると考えられるものとして、神は意識というか意思というか、あるようなないような、そういうものにならざるを得ない。前にも書いたように、〈宇宙意思〉というものが、神さまの正体ではないかと思っている。
 ただこれは、この世界の最高位にあるものであって、守護霊というか、人間よりも一つ上の段階の存在、またその上の存在…というのがあるようにも思う。これは、仏教の唱える六道や十界のようでもあるし、神道で言う八百万の神という考え方でもある。あるいは、『ドラゴンボール』の中に出てくる「地球の神様」や「界王さま」、「界王神」の概念にも近いものだ。
 さらに言うなら、この宇宙の〈意思〉が神であるならば、他の宇宙にも神があるはず。そうするとそれらを束ねるそのまた上の神がいるのかもしれない。

 とりあえず〈宇宙意思〉が神であるとして、それが宇宙の片隅の地球という星の、そのまた1人のために何かから守ってくれたりするものだろうか、という疑問はある。だから、個々に守護霊なるものが憑いている、と考えるのが合理的である。いや、一人ひとりまで目を配れるのが神の〈全知全能〉たる所以だ、という考え方もできるだろうが。

 とは言え、これは人間である僕が、とりあえず一生懸命考えたものである。ものすごく高い次元では、こんなものを遥かに超越しているのかもしれない。とても思い付かないような…。
 ところで、なぜ「神があるか」なんてことを考えるようになったかというと、不思議な体験を何回かしているからだ。それはここでは話さないが、この宇宙に僕ら人間が生きているってこと自体が、何かのおかげ、と考えざるを得ないということもある。よくよく考えれば、これって超奇跡的なことなのだから。

 ところで、オバマ氏はじめ、アメリカで演説する人はよく“God bless you!”(神のご加護を!)という表現をする。キリスト教の国ならではのことだが、日本じゃそもそも政教分離の原則からできないことだし、そんなことあまり大っぴらにいうもんじゃない、という雰囲気もあって、まず考えられないことだ。
 ともあれ、意識を持った多数の人間の決める選挙というのは、〈神の意思〉に近いのかもしれない。とすると、人間全体、それから動植物や微生物、ひいては自然界すべての意思が〈神〉ではないかという気もする。

 …難しい命題なので、なかなかまとめづらい。
 

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エスパルス残念!

2008-11-02 09:36:50 | サッカー
 
 Jリーグ開幕当初から清水エスパルスを応援していて、きのう、国立競技場でのナビスコカップ決勝を息子と見に行ってきた。
 少々風があるものの(木枯らし1号だったそうだ)雲一つないいい天気で、グリーンのピッチ上にオレンジとブルーのユニフォームが映えてきれいだった。

 ピンチありチャンスありの前半は0-0。どちらかと言うと大分ペースで、後半もチャンスは作れども微妙にずれていて、ちょっとしたスキを突かれて高松選手に先制され、その後前掛かりになったところでミスからウェズレイ選手に冷静に決められてしまった。
 中盤を潰されてリズムを作れなかったのが敗因。大分トリニータのチェックが早くて、スペースがほとんど消されていた。リーグ随一と言われる守備にやられたって感じ。
 『王者の旗』を国立で歌いたかったんだけれど、残念!

 大分は、九州勢としても初のタイトル。堅い守りによる栄冠は、悔しいけれど称えたい。しかし守り重視の戦い方には「面白みに欠ける」という批判もあるようで、リーグ戦でも「あんなサッカーに優勝させてたまるか」というのが合言葉みたいになっているそうだ。
 その是非はともかく、あの戦い方は、生真面目そうなシャムスカ監督らしい。結果出しているということもあって、日本代表の次の監督に、という話もあるようだ。協会の方針に合っているのかどうかは知らないが。

 …どうも大分びいきみたいな文章になってしまった。青山や兵働、枝村に岡崎、それに藤本と、伸び盛りの選手もたくさんいることだし、健太監督、次こそは!
 カップ戦もいいけれど、できればリーグ戦で、一度は日本一になってほしいものだ。(生きてる間に、あるかなあ)

 ところで、それぞれの応援の様子を見てて思ったのは、清水の方が洗練されていてウマいということ。大分の方は、応援のパターンも少なく、まだこなれていない感じだった。応援合戦では、清水の圧勝。
 応援と言えば、鹿島や浦和、横浜など、強豪と言われるチームでは結構過激なヤジも飛ぶし、応援の仕方も相当気合が入っている。あれくらいでないと、強いチームにはなれないのかもしれない。そういう意味では、清水も大分も、まだまだおとなしい方だと言える。

 もう一つ思ったのは、世界的な金融危機というのが、スポーツの世界に悪い影響を与えなければいいな、ということ。スポンサーの営業不振で、クラブ経営が苦しくならなければいいのだが。
 サッカーというのはそれこそ老若男女、大勢の人が楽しんでいるのだから。勝って喜び、負けて悲しむのも、チームあるいはリーグがあってこそなのだし。

 きのうはプロ野球・日本シリーズも始まり、点差は違っていたけど、やはりオレンジ(巨人)がブルー(西武)に敗れた。そして入場者数も、ナビスコ44723人に対し、日本シリーズ44757人と、ほとんど同じだった。まさか観客がそっくりそのまま移動したわけではなかろうが。
 

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