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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

中国人の視線

2006-04-30 09:25:26 | エッセイ

 インドのあと中国・上海へ。
 前にも書いたが、インドでおなかを壊してしまい、移動の飛行機中(約12時間)はほとんど何も食べられなかった。“My stomach is under repair. So I can’t eat.”とその旨伝えたところ、フライトアテンダントは気を利かせて辛くないものを持ってきてくれたが、やはりヨーグルト以外は何も口にできず。ただその心遣いはありがたかったので、“My eyes have had all of them.”(目では充分楽しめました)と言うと、ガハハと笑ってくれたのは嬉しかった。
 今のは男のアテンダントだが、かわいらしい女性のアテンダントに替わった時は、“I have to take medicine. Please water and smile.”(薬飲みたいので、水とそれから笑顔を)と言ったら、これまた冗談が通じてニコッと笑ってくれて、おなかのツラさをしばし忘れることができた。

 前置きが長くなった。中国である。
 夜、ホテルに到着するや、2人組の女の子が僕らの部屋まで付いてきて、「おにーさん、マッサージどう? きもちいいよ」と来た。疲れていたし、断わったのだが、日本の繁華街にある中国式マッサージと違って、本当に〈気持ちいいこと〉してくれるものらしい。値段はよく知らないが。
 上海は、ちょっと見たところ日本の都市とあまり変わらない。街を歩く人の顔も日本人に似ているし、看板の漢字など見なければ、日本にいるのと錯覚してしまうほど。ただはやり、広々しているし、自転車がやたらと多かった。それも、日本じゃ今は見かけないクラシックな型の、穴でも開いたか、サドルにビニール袋をかぶせたようなボロい(失礼!)のばかり。

 インド人が澄んだ目で以ってシッカとこちらを見るのに対し、中国人の、ふっと目をそらすのが一番気になった。インドに5日ほどいたので、やはりその落差に戸惑うのだった。相手をしっかり見るというのは欧米に多くて、ホテルや街角でも、目が合えば男女関係なくニコッとして「ハーイ」てな感じになる。ヨーロッパから帰国すると、日本人のよそよそしさにガッカリするのが常だ(それもじき慣れるのだが)。
 特に東アジアでは、目を合わせるのは無礼に当たるというような雰囲気があるが、中国で感じたのは、それとはまた少し違った視線だった。それは、こちらが気にしているだけなのかもしれないが「昔ひどいことをした日本人だ」とでもいうような。視線を感じたのでそちらを向くと、ふっと目をそらす…。
 それでも少し田舎に入るとそういう視線は少なくなり、ふらっと入った喫茶店でメニューが読めなくて困っていると、向こうの席から「はいはい、わたし日本語できます」と、おばさんが通訳を買って出てくれたことも。余談だが、インドでも中国でもヨーロッパでも、時間があれば一人でふらっと歩き回ることにしている。異国情緒を味わえるし、いろいろと見て回れるから楽しいのだ。もちろん、周りには充分気を付けてはいるが。

 視線の話に戻ろう。
 インドでもそうだったが、何て言うか、羨望のようなものは感じた。「ヨン様だ!」と似たような「あ、日本人だ!」という。そして中国では、こちらの気のせいか、視線を外すことで表わされる独特の気持ちが察せられた。
 これはしかし、ヨーロッパでも同じことのようで、ドイツ人はチェコやポーランドの人たちから、やはり何かしら疎まれているものらしい。まあこれは、近所付き合いでよくある隣同士のいがみ合い、みたいなもんだと思う。
 日本人、特に僕ら戦後生まれの人間にしてみれば「もう60年前のことなのに。僕ら生まれてない時の話だよ」ということだが、中国人にしてみれば「まだ60年前。ひどい目に遭わされた人を知っている」ということなのだろう。
 それで思い出したのが、去年のNHK日本賞のグランプリ『中日友好楼の日々』という、残留日本人孤児を育てた中国人たちの、現在の暮らしを綴った番組。中には当時の満州に駐在していた日本人警官に腹を蹴られ、流産したにも関わらず、日本人の赤ん坊を育てたという人もいた。そういうの見ると、人情ってもんは、別に日本人だけのものでもないのだな、と当たり前のことだけども考えさせられてしまう。

 インドでも中国でも、それぞれホテルの青年従業員と仲良くなった。名前も知らないし写真も撮っていないが、いろいろと話をしたせいでよく覚えている。それは向こうも同じだと信じたい。
 過去、お互いの国の間に不幸な歴史があったとしても、その国の指導者が相手をひどい国だと国民を扇動しようとも、「いや、僕の知ってる日本人はそうじゃない」「私の日本の友人はとてもいい人だ」と思う人が多ければ多いほど、決して争いにはならないのではないか。そういう外国人を増やすことが、海外に行く日本人の務めではないのかと思う。失礼なことをしたり買春やなんかにうつつを抜かしたりしてる場合じゃないのだ、と。

 ようやくおなかの調子も良くなって、そろそろ食事でも、というところへ、接待で中国式の円卓にどっさり料理が出てきて、また調子をおかしくしてしまった。
 ついでに言うと、僕は家族の中でも一番おなかを壊しやすく、子供やカミさんがピンピンしているのに、一人だけトイレへ、なんてことがある。日本人は海外で体調崩しやすいと言うが、その日本人の中でも特に“繊細”な僕がインドへ行っておなかを壊すのは、ある意味、必然と言えば必然なのでありました。ジャンジャン。

(前回の記事に、インド・ムンバイ中心部の写真を追加しました)
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インド人のあくび

2006-04-23 09:41:20 | エッセイ

 インド人はヒマそうであくびばかりしている、という話ではない。その逆で、インド人はあくびをしない、という話。

 人口10億以上のインドは失業率も高いようで、平日の真っ昼間でも、道路にはものすごくたくさんの人がいる。この人たちはやることがないのだろうか、と思うと同時に、未整備の道路なんか、この人たちが手を貸せば、あっという間に出来上がっちゃうんじゃないかという気もする。
 粗末と言っては失礼だが、それぞれの店先には、店番のほかに、客だか何だかわからないのがたくさん群がっている。何をしているのかよくわからないが、さほど忙しそうには見えない。日本人が珍しいらしく、ほとんどの人は横を通るとジロッとこちらを見るのだが、その目はアーリア人特有の、まつげの長い、透きとおったものだ。中には置物用に石を一心に削っているのもいたが、ほとんどは何だかヒマそうだった。

 そんな人たちを眺めていて、奇妙なことに気が付いた。あくびをしている人がいないのだ。ヒマそうに店番しているから、「アワワワ…」とあくびしているのが1人くらいいても良さそうなものだが、5日間滞在した中で、まったく見当たらなかった。それは道端に限らず、訪問先の会社でも、空港でも同じ。
 思うに、彼らの国は酒を飲まないヒンズー教だから、あまり夜更かしもしないし、眠りも深いに違いない。テレビも中流階級以上の家庭にはあるにはあるのだろうが、あまり遅くまで見ないのに違いない。信心深い彼らのことだから、酒も飲まずテレビも見ず、早くに寝てグッスリ眠っているのだろう。健康的だ。きっと頭もスキッとしているのだろう。
 テレビといえば、映画『踊るマハラジャ』みたいな番組がやたらとあった。ちょび髭の男がきれいな女性と、たぶん愛の歌を歌いながら街中や公園や木の下で踊るというもの。物珍しくて見ていたが、言葉がまったくわからないこともあって、すぐに飽きてしまった。

 道行く人たちを見てもう一つ気付いたことがある。ぺちゃくちゃしゃべりながら、ガムを噛みながら物を食べながら、タバコを咥えながら、といった、日本では普通に見られることがない、ということだ。手をポケットに入れていたり、キョロキョロしたり、ということもなく、歩き方に“由緒”というものがあるならば、まさに由緒正しい歩き方をしていた。(中国人は逆に、物を食べながらワイワイおしゃべりしながら歩く。インドのあと中国へ行ったので、その落差が印象的だった)
 メガネを掛けているのが老人以外はなく、透きとおった目が余計目立つのだが、これも夜更かしをしないからだろう。まばたきが非常に少ないのも、心が安定していることを窺わせた。文明社会にありがちなストレスというものが、きっと少ないのに違いない。

 竹村健一氏と榊原英資氏が『インドを知らんで明日の日本を語ったらあかんよ』という対談集を出しているようだが、インドはここのところ、年間7%の経済成長率を遂げており、さらには10%をも目指しているらしい(日本は現在3%弱)。
 貧富の差はまだまだ残るにせよ、教育が行き届き(インドのインテリはすごく頭がいいらしい)、社会のIT化が進んだならば、酒も飲まず常に“覚醒”している彼らが力を付けたならば、ものすごいパワーを発揮するに違いない。
 しかしそうすると、あくびをするインド人も出てくるのかもしれないのだが。

(これでインドに関する話はとりあえず終わり。次回は、お待たせしました、中国について)
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女は群れる 男は・・・

2006-04-16 08:41:45 | 女の子
 これ、「ムれる」とカタカナで書くと変な意味になってしまうが、そうではない。至ってマジメな話。

 先日、子供の入学式(高校)に出た。参加したことのある人ならわかると思うが、父兄では母親が圧倒的に多く、そして女同士、すぐ仲良くなって、何やら話し込んでいる。父親、つまり男は、よほど知り合いがいるか社交的かでない限り、一人ぽつんといるのが普通。

 高校の頃など、修学旅行なんていうのは、好きな女の子に近付くチャンスだったのだが、女の子同士ってのは、どういうわけかしょっちゅうくっ付いているため、お目当ての子になかなか近付けなくて困ったことがある。女はヒツジ、男はオオカミに喩えられるのも、むべなるかな。
 これは大きくなっても同じことのようで、くっ付いてよくしゃべってるからてっきり仲が良いのだと思っていたら、結構陰口を言ってて、男としてはちょっとビックリである。もちろん本当に仲のいい友達というのもあるが、裏で「あの人ったらさあ…」ってのも、よくある話。オオカミどもから身を守るため、身を寄せ合ってはいるが、本当は、その分ストレスがたまるものらしい。

 話をまとめよう。女が集まるのは当たり前。だから、女の子が一人でいると、おっ、と思ってしまう。この子は違うな、と。授業の休み時間にひとり本を読んでる子なんか、素敵だった。
 逆に、しょっちゅう群れている男ってのは、見ていて情けない。男は独りで生きるもの。そしてたまーに、女の懐で休むものだ。
 イチローにしろ中田英寿にしろ、試合中はともかく、独りで生きているというイメージがある。大相撲の朝青龍、将棋の羽生善治、歌手の尾崎豊、政治の小泉首相…、その道のトップになればなるほど、孤独になる(ものらしい)。独りで進んでいかなければ、独りで決めていかなければ、とてもやって行けない。そうではない、精神的に弱っちい人間は、仲間とツルむしかないのだと思う。

 女性の皆さん、独りで生きている男を選ぶべし。もし複数の男の中から1人を選ぶのだったら、ツルんでばかりの男より、独りで生きている男、できるだけ孤独に強い男を選ぶ方がいい。

 …てなことを、祝辞を聞きながら考えていたのでした。

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東京は刺激的だ

2006-04-09 10:20:06 | エッセイ
 新宿・歌舞伎町を朝、歩く機会があった。(飲んでいたわけではない、念のため)

 目に付いたのが、ホストらしい男と、その客らしい女の連れ。朝まで飲んでいたのか、男が女を送っていくところらしい場面に、何度か出くわした。
 送ってそのまま終わればいいけど、女がホストに惚れてしまって、そのあと離してくれない、なんてこともあるんじゃないだろうか。あるいはしつこく迫られて困った、なんてことも。まあ慣れたホストなら、その辺うまくやるのだろうけれども。
 でも見たところ、『夜王』に出てくるようなカッコいい男というのはいなかった。さほど男前というわけでもないし、背もそう高くはなかった。どちらかと言うと、田舎の兄ちゃんって感じの男の子(自分のことはこの際、タナに上げておく)。カッコいい奴は、いい所でいい女と寝ているのだろうか。

 そのあとJR新宿駅に向かったら、今度は、女の子とすれ違いざま、その手を引っ張りながら「メシ食い行こう、メシ」と強引に誘う奴もいた。「怪しいもんじゃないって」とも言っていたが、充分アヤしかった。ドラッグとかAVとかに引きずり込むんじゃないかと思われた。さほどかわいいとは思わなかったが、気になって様子を見ていたところ、幸い、女の子は手を振りほどいて離れていった。
 そのまま2人でどこかへ行くようだったら、止めに入ってたかどうか…、自信はない。「なんだてめえ、邪魔すんじゃねえよ」とか言って、やられていたかもしれない。

 話はちと飛ぶけれど、東京での楽しみの一つとして、かわいい子を見られるってことがある。別に話をするわけでもお付き合いをするわけでもないが、駅やなんかで「あ、いいな」って子とすれ違うのは、男として、目の保養になる。まあ人間、見た目だけじゃないけれど。でもかわいい顔してても、品のなさそうな子が多いのも事実。

 東京に限らず、都会は刺激的だ。でもその分、危険もたくさん転がっている。強盗に傷害、空き巣に引ったくり、キャッチセールスにストーカーに怪しげな勧誘、などなど。
 この春、進学や就職で都会へ出られた皆さん、お気を付けあそばせ。

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「笑顔」

2006-04-02 08:57:57 | ショートショート
 イジイジした性格を直したくて、「自己改造セミナー」なるものに参加することにした。20万円はちと痛かったが、あとあとのためだ、と踏ん切りをつけた。

 まるまる1週間、外界との接触をいっさい絶った環境で、さまざまな訓練が行なわれた。姿勢の正し方に始まり、呼吸法、歩き方に話し方。顔の表情に目の表情、挨拶の仕方に身振りの仕方。もちろん、人生を勝ち取るための思考方法もみっちり。しかし一番マイったのは、笑顔の作り方だった。
 入所して最初にやったのが身上調査。自分の性格分析から得意なもの苦手なもの、初恋の思い出やら楽しかった出来事など、こと細かに調査票に書かされた。1日目はそれだけで終わり、覚悟して入っただけに、何だか拍子抜けしたものだった。
 ところがこれがクセ者で、聞き出した事項を分析したのか、残り3日のコースでは、こちらが絶対に笑えないような状況を設定してきたのだ。講師と受講者とでロールプレイングのような寸劇を演じるのだが、カン詰め状態が続いているから、セミナーとはいってもその中では現実。どんな状況であっても、そこを笑うよう訓練させられる。正直言って、これは本当にツラかった。だから、最終日に修了証をもらった時は、特訓の成果というわけではないが、心からの笑顔が出たものだ。

 もう何も怖くはなかった。久々に出社した時、街を歩く人たちの表情はあきれ返るほど沈みきっていた。たった1週間で、こうも自分が変わってしまうものなのか、こうも人を見る目が変わってしまうものなのか。自信がみなぎっているのが、自分でもわかった。
 さらに会社の奴らの顔ときたら、もうどうしようもないほど暗い顔をしていた。おいおい…。
「おはようございます!」
 フロア中に響き渡る、澄み切った声で、そしてけさも鏡で見て自分でもホレボレした笑顔でもって、挨拶をした。ついこの間までは、考えられなかったことだ。
 しかし返ってきたのは、
「会社ツブれたってえのに、よく笑っていられるなあ」という言葉。
 続いて、
「おい、いつまで笑ってんだ…」

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