eSSay

エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

比較の問題

2006-10-29 08:16:43 | エッセイ
年収1000万・・・ヒルズ族じゃあ当たり前。
身長180cm・・・NBAじゃ小さい方かも。
一流大学/一流企業・・・その中に入ればみな同じ。

 価値観が変わってきたとかで、高学歴・高収入・高身長を意味する「三高」という言葉も、最近はあまり聞かなくなったが、その三つも、比較の対象が変われば何てことなくなってしまう。
 そう、すべては比較の問題。何かを提示された時、それが多いのか少ないのか、高いのか安いのか、有用なのか無用なのかは、別のものと比較しないと何とも判断のしようがない。「こりゃいいや」ってんで飛びついた商品なのに、もっといい品物があってガッカリした経験は、誰しもあるはず。

 悲しい話であるが、例えばどこかの企業が何百人という社員を、いわゆるリストラしたニュースがあったとしよう。それが、何十万人もいる大会社なのか、それとも千人くらいの会社なのかで、その意味合いは違ったものになるはず。新聞でも、意外と総数を載せていないことがある。もちろん、リストラされた一人ひとりにとっては、深刻な事態であることに変わりはないのだが。
 あと、どこかの銀河の写真があったとする。見事だというのはわかるが、スケールを付けてほしいものだ。だいたいでいいから、どのくらいのサイズなのかを示さないことには、スケールのデカさもわからないではないか。

 それと、縦軸の原点を0(ゼロ)にしていないグラフ。大幅に減ったり増えたりしているように見えるが、よくよく見ると大した変化ではないってことがよくある。だますつもりはないにしても、これは紛らわしい。よく見ましょう。
 あ、もう一つ。「この不思議な水を毎日飲んで健康になりました」というたぐいの話。少なくとも、普通の水道水を同じ量飲んで比較しないと、科学的とは言えない。ただの水でも健康になるのかもしれないのだから。

 ちょっと理屈をこねてしまいました。
 
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「加速」

2006-10-22 08:45:34 | ショートショート
 4年ほど前、転んだ拍子に頭を強く打って以来、どうも頭の調子が変じゃないのかと思うようになりまして。気にするまいと思うとますます気になって、つまりは悪循環で、しだいに奇妙なことが起きるようになってしまったんです。
 最初のころは単なる偶然だと思っていたんですが、こうもたび重なると、一概にそうとも言い切れなくなってきましてね。

 つまりこうです。何ていうか、符合するんです。ちょっと頭に浮かんだことが、現実となってしまうんです。例えば、誰か友達のことをふと思い浮かべると、そいつから電話がかかってきたり、コーラでも飲みたいな、と思いながらテレビをつけると、突然コーラのコマーシャルが目に飛び込んできたり、あした雨かな、などと考えていると、雨がどうとかいう歌がどっからか聞こえてきたり…。
 正夢といって、夢に未来が現われるというのはよく聞きますけど、こっちはちゃんと目をさましているんですからね。

 ま、この程度ならまだ身近で大した実害もなかったんですが、最近になってその偶然の一致の範囲が拡がってきまして、さらに、それが起きるまでの時間というのが、だんだんと長くなってきているみたいで。
 空を見上げながら飛行機が墜落したらどうなるんだろう、と考えていたら、1週間後にどこかの国で飛行機が墜落してしまったり、推理小説を読みながら自分でもアリバイのトリックなんかを考えていたら、1ヶ月後にそれとそっくりな事件が実際に起きたり、大地震のことを考えた時は、半年後に…。
 もちろん、思いついたことすべてが現実になるというわけではありません。そうでないものとは…うまく説明できませんが、はっきりした違いがあるんです。これまでの経験で、それはわかるようになりました。

 それで、僕は思い浮かべてしまったんです。実際に起きるのがいつなのか、正確なことはよくわかりませんが、数十年後でしょうか。見えてしまったんです、何だか…うまく表現できませんが、とてつもなく怖ろしい事態が。
 …その後、ですか。ああ、そういった奇妙な感覚はすっかりなくなってしまいました。おかげさまで、はい。

 Copyright(c) shinob_2005
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秋はキンモクセイ

2006-10-15 08:38:17 | エッセイ
 
 場所によって時期は多少違うだろうが、キンモクセイの香る、いい季節である。この香りに包まれると「あー秋だなー」と実感するとともに、何だか幸せな、しかし少々センチな気持ちになる。

 『枕草子』の「春はあけぼの」ではないが、僕ら日本人、春は桜の花を愛で、夏はセミの鳴き声を聞き、秋はこのキンモクセイの香りを感じ、そして冬はもちを食べて暮らしている。
 これって考えてみれば、それぞれ視覚、聴覚、嗅覚、味覚及び触覚と、五感を順番に刺激するというか、楽しませてくれるものだ。日本人の細やかな感性というのは、こういうところからも来ているに違いない。

 まとめると、
   春  桜        花見     視覚
   夏  セミ       鳴き声    聴覚
   秋  キンモクセイ 香り      嗅覚
   冬  もち      食感・手触り 味覚・触覚

 もちろん他にも、春には梅や菜の花の香りがあり、夏には海で泳ぎ花火を楽しみ、秋には紅葉や名月を愛でるし虫の音も聞くし果物もおいしいし、冬は雪や氷や炭火があるのだが、いずれも日本人の感性に深くかかわっているはずだ。

 …日本は、今でも充分、美しい。

 ところで、清少納言が「春はあけぼの…」と書き始めた時季は、やはり春なのだろうか。
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人に迷惑掛けちゃいけないか―うつ病の時代に

2006-10-08 08:40:53 | こころ
 
 うつ病の時代のようで、その関係の記事や番組、本の広告をよく目にする。
 僕も、年に何回かはひどく落ち込むことがあり、そのうち1回くらいは、悶々として眠れない夜を過ごしてしまう。そういう時は、むかーしの、すっかり忘れていた大失敗や、赤っ恥をかいた大失態までもが思い出されて、どうしようもなくなる。頭の中がウワァーッとなってしまう感覚は、わかる人にはわかるんじゃないかと思う。

 うつ病なり、うつの傾向のある人は、「人に迷惑掛けている」「申し訳ない」という気持ちが強い。「自分の人生だ。自分の思い通りに生きて何が悪い」なんて考え方は、決してできない人たちだ。
 しかしそもそも、人に迷惑掛けないで生きて行くことなんて、できるのだろうか。生きていれば、何かしら誰かに迷惑を掛けるもの。何らかの迷惑掛けることなしに人生送るなんてことは、できっこないのだ。そして生きていれば、何らかの利益を誰かにもたらしていることもまた事実。
 だいたい、何を以って迷惑とするかなんて、時代によって場所によって人によって気分によって違うもの。そんなもん、気にし過ぎる必要はないんじゃないか。

 だから、人に迷惑掛けないよう掛けないよう萎縮して生きるより、何か人のため世のためになることを考えたほうがいい。その方が、前向きだ。世の中に何かしらいいことをしていれば、他人に少々迷惑掛けたっていいじゃないか。天才的な人物は、やること考えること偉大な分、どこか大きく抜けていたり奇妙な言行があったりするもんだ。
 それに、人間だったら誰しも、3歳までの間に一生分の親孝行をするという。その後の人生は、オマケみたいなもんだ。
 さらに言えば、人間の存在自体、地球全体の迷惑になっているのかもしれないのだ。大きなことは、誰も言えやしない(と、デカいことを言う)。

 ついでに言うと、このブログだって、ひょっとしたら誰かに不愉快な思いをさせているのかもしれない。でもそんなこと考えていたら、何にも書けなくなる。誰かの、何かの役に立っているはずだ、とでもいったウヌボレそして思い上がりがなければ、文章なんて書けやしない。

 …秋晴れの3連休にも関わらず、ウツで苦しんでいる人たちも、きっといるんだろうなあ。

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自分だけの福山雅治を

2006-10-01 09:00:50 | 女の子
 
 日テレの『芸恋リアル』という番組を見ていたら、日本の女性に一番人気があるのは福山雅治らしい(てっきりキムタクだと思っていた)。個人的には、何とかいうクルマのCMで見るくらいで、あまりなじみがないのだが。なお、男性に一番人気があるのは、確か仲間由紀恵だった(この子は素敵だ)。

 子供の頃や学生の頃、クラスで一番かわいい女の子を好きになっても、なかなか相手にしてもらえなかった。そういう経験をした人も多いと思う。だいたい、モテる女子/男子はモテて、そうじゃない子はそうじゃないから、需要と供給の関係はアンバランスであることがほとんど。
 だから現実的に考えるなら、一番を狙うのではなく、自分のいわゆる〈レベル〉に合った相手をターゲットにするのがいい。でも、若い頃は自分のレベルなんてよくわからないものだし、フッたりフラれたりしてそういう感覚はわかるものだ。ただ、若い頃から理想を追い求めないのも、どうかとは思うが。

 福山雅治だって、何百万人もの相手と付き合うことは、実際問題不可能である。従って、これは、という相手を見つけ、自分にとっての、自分だけの“福山雅治”や“木村拓哉”あるいは“仲間由紀恵”をうまく育てるのがいいんじゃないかと思う。まあ当たり前と言えば当たり前の話なんだけど、その「これは」ってのを見つけるのも、またそれを育てるのも、いいもの。
 そもそも、カッコいいのが禿げ頭になったり太鼓腹になったりするのを見るのは、ひどく幻滅するものであるに違いない。それと、こういう経験はないだろうか、成人の日の式典や久しぶりの同窓会で、目立たなかった子がカッコ良くなっていたりきれいになっていたりしたというのは。そして遅かりし、その人にはいい相手がすでにいる、といったことは。早く気が付いていれば・・・。

 話変わるが、フジテレビの『結婚できない男』は予想どおりと言うか、早坂先生(夏川結衣)とうまく行ってのハッピーエンドとなった(最終回は視聴率22%)。建築家・金田の一人焼肉を目撃したことが、大きなポイントになっていたように思う。そのあと、いつもの橋の上から、自分の姿をまじまじと見ていたし。
 それと、早坂先生の「私は、キャッチボールがしてみたいです、あなたと」はいいセリフだった。少し流行るかもしれない。
 それはともかく、夏川結衣も実際に独身のようだ。もったいない。

PS.カミさんにまた言われてしまった、「信介ってやっぱりあなたによく似てる」 あんなにカッコ良くはないのだが。

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