広島・土石流の最後の行方不明者がようやく見つかったと思ったら、今度は御嶽山の噴火で50名以上の死者だそうだ。
津波や土石流(山津波とも言うそうだ)と同様、火山灰に埋もれればやはり捜索は難しいのだろう。発見されたら発見されたで悲しいけれど、発見されないのも悲しいもの。
災害に事件に、新聞やニュースを見るのが時々イヤになことがある。「こんな悲しいこと、そんなに広めなくても」と。いろいろ思いを馳せると、切なくて仕方なくなる。
ただ、希望もないことはない。
一つは、たとえば映画『タイタニック』のように〈昇華〉されること。あの沈没事故がなかったらあの映画は出来なかったし、僕らは深い感動に包まれることができない。もちろん被災者やその遺族は気の毒であるには違いないけれども、芸術作品としてうまく昇華できたいい例だと言える。
同じことは『アンネの日記』なんかにも言える。ナチス支配なんてもちろんなかった方がいいのだけれど、あれがなければ、あのような名著は生まれなかったはず。
もう一つは、先日放映されたNHKスペシャル
『臨死体験 立花隆・思索ドキュメント』。
番組によれば、非常にきれいな場所に行き、その後大いなる光に包まれる、という臨死体験自体は実際にあり、死に際して起動するよう人間(ひょっとしたら動物もか)の脳に組み込まれているとのこと。(ただ僕は、別の世界というのはあるのだと思っている)
前に書いた、可哀想にも虐待で亡くなって行く子供たちもそんな臨死体験で幸せな気分に包まれるということであれば、それはそれで救われるのではないか、とも考える。自分自身の死もそうだけど、他人、特に子供たちの死についても、安心できそうな気がしている。
つまり誰しも、死ぬときには安らかな気持ちになれるようで、人生に対し変な心配も不要であり、希望が持てる話だ。死ぬのに「希望が持てる」というのも変な言い方だけど。
ところで、海外で起きた地震のニュースで「マグニチュード○○」とよく言うけれど、おおよそでいいから、震度いくつくらい、で表現してほしいもの。(日本だけの呼称とは言え、イメージが湧かない)
さてさて、猛烈な台風18号が日本に接近中だ。ここ静岡も心配だし、またまた悲しいニュースに接することになるのだろう。皆さんもお気を付けて。