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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

懐かしの80年代映画音楽

2014-04-27 08:53:32 | エッセイ
 
 先日『LIFE!』という映画を見た。内容も、そしてヒロインも良かったけれど、テーマ曲もなかなか素敵でしばらくの間口ずさんでいた。
 それで思い出したのが、若かりし頃に見た映画とその主題曲。ちょっと列記してみる。

『ネバーエンディング・ストーリー』“The Neverending Story”
  本の中の世界に入り込んだ少年が、ファンタジー界を救うという物語
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』“The Power of Love”
  タイムマシンで過去に行った青年(マイケル・J・フォックス)が、結婚前の両親の仲を取り持つ
『トップガン』“Take My Breath Away”
  空軍パイロット(トム・クルーズ)の恋話
『ショート・サーキット』“Who's Jhonny”
  雷に打たれたロボットが感情を持ち、人間の女の子と恋をするという話
『マネキン』“Nothing's Gonna Stop Us Now”
  ショーウィンドウのマネキンが、ある青年の前だけでは人間の女の子になって恋に落ちるというメルヘン

 僕自身若かったせいもあり、いい時代だったと思える。映画音楽自体、80年代らしく夢のある感じだった。なお知ってのとおり、今ではYouTubeでいくらでも聞くことができます。そうそう、映画音楽ではないけれど“99 Luftballons”もなかなかいい曲。

 ところで、その昔静岡市七間町の映画街で「けんみん映画祭」というのをやっていた。たしか3000円くらいで少し前の作品10本以上が見放題で、毎年通っていたものだ。これまた懐かしい。(今じゃ気力/体力ともにモたないなあ…)
 

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30回目のひとり旅

2014-04-20 16:50:49 | 
 
 以前常磐線で旅をした際に気になっていた建物を見たくて、ぶらりと行ってきた。写真がそれで、茨城県北部の海沿いに建つホテルらしきもの。
 まずは大津港という駅で降り、岡倉天心の六角堂のある岬をぐるりと回る。そのまま海沿いに南下すると目的のホテルが見えてきたが、近づくと廃業されたあとだった。海もすぐ近いし、泊まってみたいと思っていただけに残念。「山海館」というそうだ。
 磯原駅から電車で高萩まで行き、そこで1泊。

 帰りにはもう一つ行きたかった場所、東京九段下の「科学技術館」へ。たしか高校の時に行って以来で、その時は非常に面白く感じたものだが、年を取ってしまったのかあまり興味の持てるものではなくなっていた。どちらかというと子供向け。

 先ほど帰ってきたところであるが、修行僧みたいに黙々と歩いたり(磯原駅まで約18km)車窓からの景色を眺めていたりすると、子供の頃のことや学生時代のことがとりとめもなく思い出されて、それはそれはいい気分転換になるのでした。何ともゼイタクな2日間。皆さんも是非。(ひょっとしたらカミさんや子供も羽を伸ばすことができて、いいのかもしれない)

 あと考えるのは、当たり前ではあるけれど、みんな皆んな、それぞれに生きているんだってこと。
 

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4月 悲喜こもごも

2014-04-13 07:30:16 | エッセイ
 新しい年度の始まりであり、進学/就職の季節でもある。希望通りの学校/会社に入れた人もいれば、意に沿わぬ進路となってしまった人もいるだろう。
 それは本人の努力によるものとも言えるが、運も多分にはあろうかと思う。
 僕も高校時代あまり勉強しなかったため、第一志望の大学(理学部)に入れなかった経験がある。ifもしも、あそこで頑張っていたら、というのはあるけれど、ひょっとしたら逆にそれで今大変な目に遭っていたかも知れない。ただそれは、この人生では確認することはできないもの。

 また、4月は異動/昇進の時期でもある。出世頭みたいになっている人もあれば、左遷みたいな格好になった人もあることだろう。
 昇格/降格も、運に左右されることはある。ただ、一所懸命にやっている人は、必ず誰かが見ているもの。仮に「捨てられた」としても、どこかで「拾って」もらえるものだと思う。

 話少しそれるけれど、年金の支給時期が後にズレたことで、60になってもなかなかすぐに引退というわけには行かない。たとえば部長まで務めた人でも、60過ぎてから若い衆と同じような作業をやることもあるようだ。
 それは見ていて気の毒な気もするが、部長なら部長だった時代、どれだけ真面目にやっていたか、変に威張りくさっていなかったかどうか、にもよるだろう。

 人名事典を見ていると、よく「晩年は不遇だった」という表現にぶつかる。かのコロンブスや豊臣秀吉もそうだったらしいが、権力を持っていた時代にどう振る舞ったか、だろうと思う。
 さて僕もあと6年ほどで60歳。いつまで役職に就いていられるかわからないけれど、役が外れたあとあまりイジメられないようにしないとね。くわばらくわばら…。
 
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虚と実

2014-04-06 19:10:16 | エッセイ
 もう何十年も前のこと、新聞の連載小説で『八犬伝』を読んだことがある。元々はご存じ滝沢馬琴であるが、その連載の作者は山田風太郎。
 虚の世界(物語『南総里見八犬伝』)と実の世界(馬琴の実生活)とが交互に出てくるもので、とても興味深いものであった。
 それ以降、僕にとって「実の世界」とは何か「虚の世界」とは何か、ということがずっと気になっている。

 仕事の方が「実」なのか。いや、自分としては会社での顔は〈仮の姿〉だと思っており、家庭での顔の方が「実」のような感じを持っている。ただそれでも、親の顔だったり夫の顔だったりして、本当の自分でもないような気がしている。
 だから僕にとっての「実の世界」とは、一人で静かに過ごしている時間、たとえばひとり旅をしている時だけなのかもしれない。この時間というのは「本来の自分」に戻れるという意味で、実に心地いいもの。(そう言えば最近行っていないなあ)

 では「虚の世界」はと言うと、会社だったり家庭だったり町内会だったりするわけ。あ、ここにこうして書いている時間というのは「虚」のようでもあるが、おおよそ素の自分を出していることからすると「実」と言ってもいいのかもしれない。
 ツイッターやらラインとやらが流行っているようだが、真面目にやっている人にとって、その世界は「実」と言ってもいいのかも。
 たとえば亡くなった人の生前何をやったかが紹介される際、仕事面が強調されがちではあるが、そうではない面の方に、本人としては力入れていたのかもしれない、という場合もあろうかと思う。(かく言う僕自身も、職業だけで判断されたくはない)

 そうそう、虚と実とを行き来する物語としては、これまた新聞小説である筒井康隆『朝のガスパール』がある。これもなかなか面白かった。
 虚と実、陰と陽、夜と昼、影と光、黒と白、裏と表、… 

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