中学でサッカーを始めた。強豪校というわけでもないし、体小さくて上手くもなかったからレギュラーなんてとてもとても。だから監督(顧問の先生)の顔色なんて窺う必要もなかったし、考えもしなかった。
大学でもサッカー部に所属。部といってもサークル活動みたいなもので、監督は上級生または同級生だしほとんど気も遣わずに済んでいた。とは言え強い時もあって、毎年夏に行なわれる(たしか)7大学の対抗戦で優勝できたのは、学生時代のいい思い出。(左の“サイドバック”をやっていた)
40代で合気道を始めた。先生に逆らうことは許されず、従わないと(特に機嫌の悪い時は)稽古で痛めつけられてしまう。また従順にしていたら昇段できるが、ちょっとでも反抗的な態度(それがまともでもあるのだが)をとった仲間は何年も昇段お預け。(それでも彼は頑張って続けている)
合気道自体は素晴らしい武道なのだが、体育会系というのはこういうものなのか、とイヤになって辞めてしまった。教わることも多かったものの、精神的な“奴隷”になりそうで「もういいや」と。続けていれば三段四段にはなれたかもしれない。
競技の監督にしろ会社の上役にしろ、人の上に立つと変な意味での〈全能感〉を持ってしまうのかもしれない。人間の悲しい性(さが)なのであるが、どこかで大きな〈しっぺ返し〉を食らってしまうに違いない。
しかしながら、よく言われる「かわいがってやる」的なものがまったくなくなってしまい、皆が皆きまじめになってしまうのも寂しいもの。要は〈バランス〉か。
大学の体育会は素直で従順な社会人を作り出すのに有用だ、という見方がある。監督やコーチの(つまりは将来、上司の)顔色窺ってくれるから、ということらしい。一理あるものの、何とも哀しい限り。
…日大アメフト部の“傷害”事件そしてその後の報道を目にして、思い出したもろもろ。ところで、理事長が表に出てこないのはどうにも腑に落ちないところ。
いやひょっとしたら、もしこれだけ大騒ぎになっていなかったら、何年後かのち「あれで精神的に強くなってここまで来れました」と、かの選手が涙ながらにかの監督に報告していたかもしれない。…あり得たもう一つの現実。