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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

五月病の季節

2005-05-29 08:54:15 | エッセイ
 ゴールデンウィークゆっくりし過ぎたせいか、少々お疲れ気味である。特にこの春、進学したり就職したりした人たちは、ちょっと気合いが抜けるころかもしれない。

 学校にしろ会社にしろ地域にしろ、当然のことながらそこには前々から人がいて、それはそれでまとまっている。言葉が違い、また目に見えない習わしみたいなものがあって、新入りは入りきれない、というのもままあること。
 向こうは向こうで「よそ者が来た」という意識があるのだろうが、なかなか打ち解けず、それが五月病の原因になっていることもあるだろう。季節は違えど、公園デビューした母親が他の母親たちに溶け込めず育児ノイローゼになる、というのも充分ありうる話だ。

 ただ、仲間だけで固まっているのを見ると、「勝手に仲間内でツルんでな」とも思いたくなる。「よそ者」の考えも聞かないと、進歩はないだろうな、とも。少なくとも、相対的なものの見方はできにくいだろう。とは言っても、僕もどこかで「仲間内」になってはいるのだが。
 地元に進学し、地元に就職し、周りは知り合いばかり、というのも安心かもしれない。しかしそれだけでいいのだろうか、と思う。よそ者扱いされることはないにしても、息苦しくはないのだろうか。少なくとも男だったら、どこか外の世界へ飛び出た方がいい。“異邦人”になるのも、悪くはない。

 ところで、そもそも五月病というのは、新年度が始まって、最初の緊張が切れることから来るものなのか。それともだんだん暖かくなってきて、体が慣れるまでの季節的なものなのか。ならば、年度の始まる時期や気候の違う外国では、たとえば“十月病”とでもいったものがあるのだろうか。
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尾崎豊フィルムコンサートにて

2005-05-22 08:27:24 | エッセイ
 2ヶ月ほど前になるが、尾崎豊のフィルムコンサートを見に行った。

 根がアマノジャクなものだから、生きて皆にもてはやされている時は見向きもしなかったが、去年、CDを聞いてからハマってしまった。いまどき、あれほど全身全霊で歌う歌い手、というのを僕は知らない。しばらくは、他の歌手がみんな口先だけで歌っているような気がして仕方なかった。
 もう13年。生きていれば、現在39歳。やはり力強くロックやバラードを歌っているだろうか。それから、今の世の中についてどういう風に考えるのか、聞いてみたい気もする。

 さて、そのフィルムコンサート。定員2000人の会場に200人ほどしか入っていないのは意外だった。ナマではないから満員にはならないとは思っていたが、あまりの静かさにいささか拍子抜けしてしまった。まあその分、しみじみと聞くことはできたのだが。
 そんな中、30前後の女性が1人、ぽつんと観客席にいるのが見えた。勝手な想像であるが、昔好きで好きで、彼が死んでからもずーっと想い続けているんじゃないだろうか。ひょっとしたらそのせいで、未だに独身を通しているのかもしれない。あるいは、彼氏は彼氏、旦那は旦那として、尾崎のことが忘れられずにいるのかもしれない。
 だとすれば、それはそれで、尾崎というのは幸せな男であるに違いない。はるかに及ばないが、そういう男になりたいとも思う。

 ところで、JR(東京近辺だけか?)の列車が来る前の案内メロディが、「アイ・ラヴ・ユー」のイントロによく似ていると思うのだがどうだろう。

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「超能力者」

2005-05-15 08:30:09 | ショートショート
「おい、本当にナイフはこの山に捨てたんだろうな」
「はい…」
「で、どの辺だ」
「ここを登りきった所がガケになっています。そこから放り投げましたので、その下にあるはずです」
「そうか…」と刑事は言い、フッと笑った。

 かくして血の付いたナイフは見つかり、すでに自白していたオレは犯人にされてしまった。
「されてしまった」とは何ごとか、ですって? とんでもない。オレは犯人じゃない、ただの超能力者だ。事件のニュースを見た瞬間、その凶器から手口までわかってしまったのだ。交番の前で不審な動きをしてしまい、尋問を受けるハメになった。
 シボられればつい口にしてしまうというもんだ。犯人しか知りえない事実まで知っているんだから仕方がない。ただ残念なのは、真犯人の顔や居場所までわかるほど、オレの超能力が凄くないってことだ。

 Copyright(c) shinob_2005


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なぜ赤血球は赤いのか

2005-05-08 08:09:25 | 科学/考察
 ガメラの血の色はたしか緑色、プレデターの血はバスクリンみたいな蛍光のある黄緑色であるが、なぜ動物の血は赤いのか。「それは赤血球というのが含まれていて、その中にヘモグロビンという赤い物質があるからだ」では答えたことにならない。
 クロロフィルは中心にマグネシウムMgを抱えた錯体であり、ヘモグロビンはそれが鉄Feである。こういう錯体というのがガス交換に適しているようだが、なぜ鉄を選んだのか。

 地表付近の元素の含有率を示した「クラーク数」を見ると、鉄は上から4番目で4.7%、マグネシウムは8番目で1.9%。やはり豊富な金属を利用することにした、と考えるのがふさわしいだろう。
 ではなぜ錯体としての色が赤くなる鉄を選んだのか。クラーク数の上位には、他にもアルミニウム(3番目)やチタン(10番目)といった金属があるのに、である。
 おそらくそれは、目立つから、だろうと思う。先に進化した植物はマグネシウムを利用し、その葉っぱは緑色。その中でケガをして血が出た時に、同じ緑では目立たない。ひょっとしたら大昔、透明な血や緑色の血を持った生き物が存在したかもしれない。しかし目立たない血のせいで命を落としやすく、進化の過程で消えて行ったのだろうと思う。赤い血にしたのは、生き物として、生き残るための戦略だといえる。
 もちろん、アルミやチタンの錯体でガス交換ができるのかどうか、もしできたとして、それがどういう色になるのか、ということはよくわからないのであるが。
 あるいは逆に、自分の血の色が目立つように、目の方が進化した、とも考えられなくはない。だとすれば、宇宙人なら宇宙人の血液を見れば、それはその宇宙人にとって、きっと目立つ色であるに違いない。

 少し話はそれるが、赤い恒星があるとすれば、その下に暮らす生き物というのは、赤をケバケバシイとは感じないに違いない。でないと、始終イライラしてしまうことになる。ちなみに、太陽光線は白というか、無色である。
 ところで空が青いのは、気体の分子で乱反射しやすいのが青い光だからだそうだが、さらに植物の葉っぱも青だったら、色彩的にすごくつまらないものになっただろうと思う。緑色で良かった。
 そうそう、ナメック星の空は緑色だったと思うが、あれはあり得ることなのか。その場合、植物の葉はやはり緑色になるのだろうか。

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なぜ葉緑体は緑なのか

2005-05-01 08:28:48 | 科学/考察
 子供向けの科学雑誌なんかを見ていると、「どうして葉っぱは緑色なのですか?」という質問があり、それに対する回答として「それは葉っぱの中に葉緑体というのがあり、光合成を行なって酸素を作り出しているからです」というようなことが述べられている。でもそれでは、葉っぱがなぜ緑であるか、という質問に答えたことにはならない。
 もちろん、緑でなければ葉「緑」体とは言わない、という上っ面の問題ではない。上の答はたとえば、緑の絵の具にはこれこれこういう色素が入っているから緑色をしており、口に入っても安全で、褪色しにくいものを使っている…、と説明するようなものである。

 どうやら光合成には、赤い光と青い光が効率的だから、というのがその答らしい。光の3原色のうち、残りの緑が吸収されないため、目には緑色に見えるようだ。そこまで説明しなければ、なぜ緑色であるかの答にはならない。「葉緑体が含まれているからだ」という説明だけで、はたして子供たちは納得するのだろうか。
 どうして赤と青が光合成に効率的なのか、という部分はよくわからないが、波長とか励起エネルギーとか、そんなところなのかもしれない。でも波長でいくと、緑は赤と青の間なんだけどなあ。
 余談だが、木々の緑を見ると癒されるのは、大昔に住んでいた“ふるさと”としての記憶が、DNAのどこかに残っているからだろう。あるいは、緑色を心地よいものと感じるよう、サルの目なり脳なりが進化したのかもしれない。

 ところで、葉緑体中のクロロフィル(葉緑素)と赤血球中のヘモグロビンというのは、中心の金属元素が違うものの、錯体という、非常によく似た構造をしている。ガス交換にはそういう構造がふさわしいのだろうと思うが、では、なぜ赤血球は赤いのか、ということについては次回。

コメント (4)
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