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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「課長と呼ばれたかった男」

2007-04-29 08:45:25 | ショートショート
「課長とこの奥さん、きれいですねー」
「いやー、きょうの課長の対応は見事でしたよ」
「課長んとこのお酒は、いつもウマいっすねー」

 …男の、子供の頃の記憶だ。
 親父はよく、部下を何人か家へ連れてきては、一緒に酒を飲んでいた。ちゃぶ台の横でおもちゃかなんかで遊びながら、そんな会話を耳にしていた。カチョウ、か…。何だか立派そうだ。自分も、いつの日かそう呼ばれたいものだ、と思った。
 その後、親父は部長にまでなったらしいのだが、忙しくなったのか、それともそういうことするような年齢でもなくなったのか、家に部下を呼ぶことも少なくなった。仮に呼んでたとしても、青年となっていた男は自室に籠ることが多く、親父が〈部長〉と呼ばれるのを聞くことはなかった。だから、男にとって、親父の対外的なイメージは、あくまでも〈課長〉なのであった。〈課長〉はいつしか、男の目標になった。

 ごく平凡な大学を出て会社に入り、人並みの出世をしていくことになるのだが、おとなしい性格が災いしてか、男はなかなか課長になることができなかった。いや、チャンスは2回ほどあったのだが。
 1回目は、特別なプロジェクトのため上の課長が急に部署を離れることになった時。順番から行けば男が課長になれるところ、どういうわけか、ぜんぜん畑違いの奴がやって来て課長に就いてしまった。なかなかのヤリ手であったが、過去の経緯とかよくわからないまま動いてしまうので困った。
 もう1回は、組織の再編があった時。同期の奴らが課長になる中、男だけが課長補佐止まりであった。そして課長は、入社で言えば2年後輩の女性。そこそこの美人であったが、細かいことにうるさい上、性格がキツくて参った。
 それから何年かして、その女性が退職することになり、ようやく男にも課長になれるチャンスが巡ってきた。今度こそ、やっと、〈課長〉と呼んでもらえる…。

 しかし男の願いもむなしく、突然の合併によって、組織の呼び名が変わることになってしまった。つまり、〈課〉は〈グループ〉となり、〈課長〉は〈グループマネージャー〉となったのだ。略して〈GM〉。ゼネラルマネージャーと取れないこともないが、そんなの、男にとってはどうでもいいことだった。じーえむ…、面白くも何ともない。
 男はどうしたか? 男はいいことを考えた。

「やだ課長さんたら、またそんなこと言ってェ」
「きょうの課長さんのネクタイ、素敵ね」
「いやーん課長さん、かわいいー。もう1杯いかが?」

 そう、とあるクラブで、夜な夜な若い女の子たちと。
「またいらしてね、課長さん…」

 Copyright(c) shinob_2005

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命の奪われる事件

2007-04-22 09:53:02 | 時事
 
 世間では先週、命の奪われる事件が相次いだ。

 アメリカの大学での銃乱射。どうも強い疎外感があったようだが、殺しちゃあいかん。人種の問題とか、あったのかもしれない。
 長崎市長の射殺。後ろから、それも有無を言わせず発砲するとは。誰かから「よくやった」と誉められただろうか、自分でも「よくやった」と満足だろうか。しかし世間では、こういうのを〈卑怯者〉と呼ぶ。決して男らしい行動とは言わない。(女性ならいい、というわけでもない)
 そして相変わらずというか、イラクでのテロ。ある程度慣れているのかもしれないが、毎日毎日、びくびくしながら生活するってのも、やりきれないだろうと思う。

 亡くなられた方々には気の毒としか言いようがないが、これらの事件のおかげで警備なりセキュリティが厳しくなり、起こるはずだった事件が起きず、そのため失われるはずだった命が失われずに済んだとすれば、それはそれで〈尊い犠牲〉になられたのだと考えたい。(セキュリティでガチガチってのも考えものだが)
 そう考えて行くと、今の僕らってのは、過去の大きな戦争を含め、病気にしろ事故にしろ、たっくさんの犠牲の上に成り立っているのだとも言える。感謝しなくては。

 一方、これはもっと高度な考え方になるが、加害者ってのは、ある意味、世の中を良くするために存在した、という見方もできる。彼らがいたために、世の人々はいろんなことを考え、進歩してきたのだ、とも。悲しいことには違いないが、せめて前向きに考えたい。
 「いわんや悪人をや」だったか「誰も彼女を打てない」だったか、仏教でもキリスト教でも、似たような思想があったかと思う。普通じゃなかなかたどり着けない考え方だけれど。
 とは言っても彼らは今後、大いなる反省をして、また来世からやり直してもらわないといけないのだが。

 ・・・ちょっとシリアスになってしまいました。

〔全然関係ないけど、きょう平原綾香のコンサートに行く予定です。品がいいと言うのか、あの子には何か高い精神性が感じられます。〕

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5人で同窓会

2007-04-15 09:05:42 | エッセイ
 
 久しぶりに集まるかってんで、学生時代の友人4人と飲みに。
 みんなだいぶ変わっているだろうな、と期待していたのだが、あんまり変わっていなくて少々拍子抜けしてしまった。頭の生え際が少し後退しているくらいで、みっともなく太っているのもいなかったし。

 卒業して20年以上。大学の教授になった奴、家業を継いで社長になってる奴、転職した奴、体調壊して一回倒れてしまった奴、みんなそれぞれにあって、その分話したいことがたくさんあるようで、賑やかだった。
 また、お前はあの娘と付き合ってたな、だの、あいつはどこそこへ行った、だの、懐かしい話や懐かしい名前が次々と出てきて、すっかり昔の気分に戻ることができた。それと、お互い呼び捨てで名前を言い合えるのも、古い友人ならでは。社会人になってしまえば、呼び捨てもあまりできなくなるから。

 しっかし、昔からよくしゃべる奴はしゃべるし、クールだった奴はやっぱりクールだし、静かに飲んでた奴はあまりしゃべらないし(僕です)、何十年経っても、人の性格ってのは変わらないもんだなあ、と改めて思った次第。

 学生の頃はそれぞれが、学業なり恋愛なりで競い合った仲なんだけど、今は離れ離れになっているんで、そういうことも直接はない。ただ、同じ社会人として、同じ年代として、口には出さないけれども、お互いガンバろうって気にはなる。そして、自分もまずまずだな、あるいはまだまだだな、という気持ちにも。
 皆さんも、同窓会の機会があったらぜひ参加を。普段使わない頭の部分が刺激されて、いいですよ。自分が今どういう位置にいるのかってのも、わかるし。

 終電近くまでやったんだけど、まだまだ話し足りなくて、またいつかやろう、ということで別れた。しかしずいぶんと元気をもらって帰ってきた。そして、年をとるのも悪くないな、と。



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新入社員諸君!

2007-04-08 10:00:21 | エッセイ
 
 4月。異動の季節でもあり、新入学・進級・入社の季節でもある。
 きょうは新入社員のために、ちょっと話をしたいと思う(もちろん新入社員でない人が読んでも構いません)。社長の訓示なんかでは絶対聞けない、少々ナマナマしい話も。

 僕の会社でも昇進・昇格の発表があったんだけど、やはりというのか、同じ年代でも、仕事ちゃんとやってる奴はどんどん昇進し、そうでない奴は、音沙汰なし。年収にして、おそらく何百万もの差がついていることだろう。だから若い頃は特に、仕事はイヤがらずにどんどんやるべし。文句ばっかり言ってやることやらない奴は、周りにどんどん抜かされていく。厄介な仕事から逃れて、一時的には「得」をしているようだが、結局は「損」をしていることになる。
 もちろんそれは収入だけでなく、周りからの信用とか、やりがいとか張り合いとか、人生における自信とかにもつながるのだけれど。
 仕事も、簡単なものから難しくややこしいものまで、いろいろあるだろう。まずはえり好みしないこと。こいつならできる/こいつは無理だ、と周りが判断してくれるから、いずれは収まることに、つまり自分に合った仕事がいずれ与えられることになろう。
 ただ恋愛と同じで、ガツガツし過ぎるとみっともないので、その辺は適宜。

 勉強のやり方もそうだけど、仕事のやり方にも、正解というものはないのかもしれない。「これだけが正しい」なんてことはないから、人のをマネしたり自分で考えたりして、自分なりの方法を探すべし。
 職場の風習というか流儀というか、そういうのに慣れるのが一番大変かもしれない。ホチキスは左側のこの辺を止める、だの、この件は誰それを通す、だの。こればっかりは、その職場に入らなければ絶対わからないことだ。
 それと、仕事中に仕事のことしか考えないでいると、つまらない奴になってしまうから、仕事と遊び、8:2くらいの割合で頭を使うこと。かのGoogle社では、勤務中、遊びの時間を必ず2割持つこと、という規則があるそうだ。

 人間関係についても少し。
 新入りだと社内の人間関係や力関係がまだよくわからないだろうから、あまり深入りしないこと。あまりベタベタしてプライベートをさらしてしまうと、あとで敵対関係になった時に、イヤな気分になってしまう。学生時代と違い、付き合いは何十年にもわたるのだから。
 あと、どこの職場にもクセの強い奴、付き合いづらい奴ってのはいる。修行だと思って、逆に楽しんじゃえばいいと思う。

 日本全国、大きいとこから小さいとこまで、会社・法人・自治体というのは150万もあるそうだ。その中の1つに、あなたは所属することになった。それも何かの縁。ご検討を祈ります。Good luck!

〔写真は、asahi.comより〕
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比較の問題②(タミフル報道ほか)

2007-04-01 09:14:50 | 時事
 
 先日、インフルエンザ治療薬・タミフルで、意識障害や異常行動、幻覚、妄想などの症状の例が280件、という報道があった。
 280例。ちょっと聞くと多いようだが、残念ながら、タミフルを飲んでない人でそういった例がどのくらいあるのか、というのがこの報道では抜けているため、多いのか少ないのか、誰にも判断できない。
 例えば、タミフル飲んでない場合で100例だということがわかれば、タミフルはやはり危険だってことも理解できる。

 ・・・ここまで読んで納得したあなた、ちょっと待ってもらいたい。タミフル飲んだ人と飲んでない人それぞれの全体数がわからないと、つまり母数をもとに発生率を計算しないと、その危険性というのがわからないからだ。
 例えば、タミフル飲んだ人が延べ280万人、飲んでない人が100万人だとすれば、その発生率は、いずれも1万分の1となり、タミフルを服用するかしないかはあまり関係ないってことになる。

 まあここに挙げた数字は仮のものだから、発生率は、正確な数字がないとわからないのだが、言いたいのは、与えられた情報だけで判断すると間違える、ということ。上記のように、情報が変わればその結論は180度変わってしまうのだ。
 インフルエンザ自体、あるいは他のウイルス疾患で異常行動を起こす場合も多いようだし、要因は単純でもないから、本当のところ、薬のせいだけでもないような気がする。
 マスコミはセンセーショナルなことが好きだから、「異常症状が280件」と見出しを付けるのだが、その数字なら数字の意味するところは、もう少し情報がないと、正確なところは判断できない。数字というのははっきりしたものだけど、必ず他の数字と比較しないと、大きいのか小さいのかってのが言えないのだ。

 注意を喚起する、ということだろうが、誤ったイメージを持たせるようなものには、薬の報道に限らず注意したいところ。
 おととしだったか、クマの出没が多くなった、というニュースがあったが、あれも、だいたいでいいから、前の年あるいは10年前・20年前は何頭くらいだったのか、ということも一緒に伝えないと、比較・判断のしようがない。

 おそらく、だけれども、何とか言う教授の、タミフル服用の有無による異常行動の比較検討で有意差がなかったというのは、正しい結論だったろうと思う。関連メーカーからお金を受け取っていたため今後の検討委員からは外されたようだが、結論自体は、間違っていないだろう、と。
 ついでに言うと、週刊誌の広告なんか、その週刊誌として悪者にしたい人の写真は、悪党ヅラのものを載せるようだ。悪い奴がいつも悪党ヅラしているわけではないのは当たり前のことで、編集者の思惑、というものがよく分かる。
 だますつもりではないにしろ、皆さんも気を付けましょう。


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