思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

裸の人間として生きる ・ 実存としての自他への約束

2006-04-01 | 恋知(哲学)

外的な価値に従い、世間的な「いい人」として生きようとする人間は、しばしば心の内なる声を聴かず、実存としての自他への約束をホゴにします。彼(彼女)にとっては、世間的な価値が裸の個人としての自他の価値を上回るのです。
このような人が幸せを得ることは決してないでしょう。自分の内なる声を聴き、それを大事に育てつつ生きることが、人間的なよき生の条件だからです。外なる規範・秩序を優先する外面人間には深い生の充実=エロースはやってきません。これは原理です。
内奥の声を聴き、それに従って生きることのできる「ほんものの人間」になるための努力、自己自身へのチャレンジ、それが人間の生きる意味です。
よきもの・美しきものへの憧れ・希求―それらを恋することのない人間は、外的価値に縛られて生きるだけの単なる「事実人」にすぎません.

武田康弘


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする