思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ふつうに考えることが哲学ーhiromin・荒井・古林・武田

2008-01-11 | 恋知(哲学)

「ふつうに考えることが哲学」(クリック)に対して寄せられたhirominさん、荒井達夫さん、古林治さんのコメントと武田の応答をあわせて記事にします。核心的なコメントを寄せて頂いた3名の方に、深く感謝します。


[ hiromin ] [2007/09/03 08:46]
私はタケセンの考えに深く共感します。かけがえのない命、生きていることの驚きを常に日々連続して意識したり感動しているわけではないのですが、対話をとうしてほりさげて考える営みがなされていてはじめて大元(生きるってなに?自分はどう生きたいのか?)にもどして思考することが可能になるのではないか?と思うのです。今の日本の社会、家庭や教育現場においてあまりにも対話をするということがなされていないがために、「ふつう」ということが多くの場合既成概念の中で生きることに意味づけられて言われ使われてしまっているのではないかと私は感じてるのですが、、。
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[ 荒井達夫 ] [2007/09/03 09:14]
「公共的良識人紙」の武田さんと金さんの対談、本当に楽しみにしておりますが、二回目の8月1日号では、金さんの話がひどく難しくなってしまったように思います。これでは一般市民には通じないでしょう。また、金さんのお話は「他者を尊重し、対話することが大切」という趣旨のようですが、では具体的にどうすれば、それが成り立つのか、がこれからの対談で関心があるところです。一般市民にも理解できる「ふつうに考える」対談を期待しております。
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[ タケセン ] [2007/09/04 01:14]
対話の拒否・考えることの停止・知識と実務に逃げるー「ポストモダン」といわれる現代の人間精神の特徴です。「ふつう」ということが多くの場合既成概念の中で生きることに意味づけられて、というhirominさんのご指摘通り、こどものように自由に考えること=本質的な探求や原理的思考をすることを古いとか宗教的とかと言って嫌い、既成社会の中で既製品を消費するだけの生き方に陥っている人が多いです。それでいい、というかそれしかないと思い込んでいるわけですが、悲しいことです。わたしがこどもたちに「もてる」のは、エロースの人だからでしょう(笑)

もし、金さんが哲学対話ー往復書簡を続けられる意思がおありならば、わたしはますます「ふつう」にを心がけます。エールをどうもありがとう。
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[ hiromin ] [2007/09/04 05:42]
「現代人の人間精神の特徴」
やはりそうなのですね。
タケセンは教育館に通う子供たちみなの「ありのまま」をうけいれひきうけていますよね。だから子供たちは生き生きし、タケセンに心身でぶつかり、よろこび、心の安定がえられるのだと感じています。このような生き方接し方をし続けている大人や場は今の社会の中にはほとんどないように思います。教育現場は無論、家庭の中においてさえも「ありのまま」や、当然すぎて言うのもなんですが「子供の権利」(せまい意味ではないです)すら無いことのほうが多いのだと私は実感しています。子供たちが窮屈な型にはめられ悲鳴がきこえてくるような現状。日本は民主主義国家ということになっていますが、うそでしょって思います。
生きた対話や思考が活発に実践され続けている教育館の価値たるやなんて貴重なのだろうとつくづく思っています。
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[ タケセン ] [2007/09/04 10:38]
hirominさん、
武田の想いを深く了解してくれたコメント、感謝です。
わたしも自分で「貴重な場」であると思います(笑)。心も体も頭も、わたしの全実存を賭けてつくりあげてきた場が【白樺教育館】です。日本及びアジアの「公共哲学」運動の第一人者・金泰昌さんのような外国人の目にも、最も注目すべき日本の試みのひとつと評価されたのはとても嬉しいことですが、たえず近くで実践の場を見ているhirominさんの高い評価は、更に深い悦びです。ほんとうに感謝です。
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[ 荒井達夫 ] [2007/09/04 14:16]
ついでに、ですが・・・・・武田さんと金さんの対談、このHPに掲載されているものと、公共的良識人紙に掲載されているものとが、相当に違っています。金さんの発言の部分です。非常に専門用語も増えてわかりにくくもなっているのですが、これは、どういうことなのでしょうか?
対話になっていないところも、多々あるように思います。
お二人とも、対話が大切という点では共通していますし、そのまま掲載するのが筋ではないでしょうか。後から書き換えては、対談を伝えることになりません。興味半減で、読者としても、面白くないのです。是非、改善をお願いします。
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[ 古林 治 ] [2007/09/04 22:02]
件の対談、私もキム・テチャンさんが大幅な加筆修正したことで本来の対話のダイナミズムが失われ、モノローグのようになっていると感じます。読者への期待効果を想定し、そのように追加修正したのだと思いますが、そこには危ういものも感じます。なぜなら、『他者性の尊重』を訴えながら、一方的な加筆修正によって、読者と武田さんを自己の内的世界に回収しようとしている、とも取れるからです。
その点で、8月号の『公共的良識人』紙には少々失望しました。対話はまだ続くと思いますが、率直でエキサイティングなものを期待します。それが他者との出会いの醍醐味だからです
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[ タケセン ] [2007/09/07 00:20]
荒井さん、古林さん、コメントありがとうございます。
新聞編集の独自の方針があるのでしょうが、わたしとしては、さらに明瞭に平明にを心がけていきます。「ふつう」を貫き続けたら、まだ誰も見ない景色ーいまだ誰も見たことのない世界が開けるような気がしてしかたないのです。不思議な直感が、確かなものとしてわたしの内部にあります。

武田康弘





コメント
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