オットー・クレンペラー(1885-1973)は、音・音楽の存在そのもの魅力を開示し得た人だ。
わたしが知る限りその点で彼に比べられる指揮者は一人もいない。
たとえば、グルッグの「アウリスのイフィゲニア」序曲を聴く。
存在の美、
キレイさとはまったく異なる存在自体の美しさと深さに満ちている。
それと同時に、
存在することの形容できない悲しみを感じる。
音楽と人間の存在そのものが、深く開き示されていると感じ、涙が出るのだ。
意識は浄化されて、存在の海に沈潜する。
そこから、新たな深い「力」が湧きあがってくる。
存在それ自体が更新され、浄化し、輝き、熱を帯びるのだ。
クレンペラーの指揮する音楽を聴くというのは、わたしにとって特別の体験である。
自分用に5枚のCDから5曲の序曲を入れたCDをつくりました。原盤は、すべてEMIで、オーケストラは、フィルハーモニー管弦楽団です。
1.ベートーヴェン レオノーレ序曲 第3番 (1806)
14分32秒 録音1964年
2.グルック 「アウリスのイフィゲニア」序曲(1774)
11分30秒 録音1960年
3.ウェーバー 「オベロン」序曲 (1826)
9分33秒 録音1960年
4.ブラームス 大学祝典序曲 (1881)
10分02秒 録音1957年
5.ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(1841)
10分44秒 録音1960年
わたしが知る限りその点で彼に比べられる指揮者は一人もいない。
たとえば、グルッグの「アウリスのイフィゲニア」序曲を聴く。
存在の美、
キレイさとはまったく異なる存在自体の美しさと深さに満ちている。
それと同時に、
存在することの形容できない悲しみを感じる。
音楽と人間の存在そのものが、深く開き示されていると感じ、涙が出るのだ。
意識は浄化されて、存在の海に沈潜する。
そこから、新たな深い「力」が湧きあがってくる。
存在それ自体が更新され、浄化し、輝き、熱を帯びるのだ。
クレンペラーの指揮する音楽を聴くというのは、わたしにとって特別の体験である。
自分用に5枚のCDから5曲の序曲を入れたCDをつくりました。原盤は、すべてEMIで、オーケストラは、フィルハーモニー管弦楽団です。
1.ベートーヴェン レオノーレ序曲 第3番 (1806)
14分32秒 録音1964年
2.グルック 「アウリスのイフィゲニア」序曲(1774)
11分30秒 録音1960年
3.ウェーバー 「オベロン」序曲 (1826)
9分33秒 録音1960年
4.ブラームス 大学祝典序曲 (1881)
10分02秒 録音1957年
5.ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(1841)
10分44秒 録音1960年