思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

行政権力による詐術=裁判員制度

2008-05-17 | 社会思想
市民が裁判を行う裁判員制度は、民主主義の理念の具現化=現実化ですが、
これから導入される日本の裁判員制度は、マヤカシというよりも意図的な詐術です。
市民が裁判に関わるほんらいの意味は、行政権力(官の問題)を市民の【常識】に照らして裁くところにあるはずですが、今回の裁判員制度は、刑事裁判にのみに限定されています。

刑事事件(強盗・殺人・強姦 などの個人犯罪)の量刑を決めるのに市民が関与する意味は希薄だと言わざるを得ません。【個人のおぞましさ】を裁判に関わる市民はイヤというほど見せられるわけですが、ほんとうは、個人の持つおぞましさ・悪に比べて、【行政権力が犯す罪】は、桁違いのものです。

【個人の悪】の生々しい提示は、【行政権力の悪】(=検察に悪だと決められたら無実でもまず逃れられないのが現状で、その実態は最近刊行された『冤罪ファイル』に詳しいですが、国連から日本政府に対して改善命令がでる理由がよく分かりますー戦慄!)から目を逸らさせる役割を果たすことになります。

行政権力は、酷い「悪」(例えば薬害で亡くなった方がどれほどか))をなしても裁かれません(行政マンの個人的なハレンチ罪以外は)。冤罪をつくった検事も罪を問われないのです。

このような【民主主義の暗部】(官の絶対化・行政権力の肥大化)を改善するのが、ほんらい裁判員制度の一番の意味なのですが、そこには全く市民を関与させません。刑事事件=個人がどれほど恐ろしいことをするかを生々しく見せることで、【ほんとうの問題】から目をそらさせること、そこに裁判員制度の狙いがある、そう断じても間違いないと思います。形は民主主義の発展、中身は行政による民の支配の拡大。

個人は悪をなす、したがって、行政権力による指導と取り締まりと厳罰化が必要だ。取り締まる側である行政権力は正義だ!?というわけですが、これほどの欺瞞はありません。極めて恐ろしいことです。

【民主主義の原理】の確認がいま何より大切です。あらゆる問題を【詐術・騙しで乗り切る】わが国の現実を変えることは、ふつうの市民みなの得を生みます。真実を生む仕組みをつくることが何よりも求められるのです。


武田康弘
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