思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『欲望の葛藤』―葛藤から抜け出るには?

2008-05-22 | 恋知(哲学)
人間の抱くさまざまな欲望をもし「悪」だと考えれば、人間には救いがありません。

欲望が悪ならば、生き生きとしたもの、よろこびに溢れたものはすべて悪になり、禁欲的な修行僧や修道女のような生き方をしなければならなくなります。欲望の禁圧=人間の生命体としての自然性を否定する、という事態に陥ります。

「欲望の葛藤」が神経症などの精神疾患を起こすのは、ありのままの己の欲望を悪だとしてこれを抑圧しようとするからですが、しかし、もし欲望を肯定することに成功しても、それだけでは、「欲望の葛藤」から逃れることはできません。

肯定された後も、複数の欲望が互いに衝突を起こすからです。ある欲望を満たすためには、別の欲望を抑えなくてはなりません。いくつかの欲望が相乗作用を起こすこともありますが、その逆もあるわけです。

もし、自分の中で、欲望の優先順位、というより欲望の立体視による階層分けができれば、すべての欲望はケンカにならず、自分を活かすことに役立ちます。どんなに荒々しい欲望であっても、それは想像界を豊饒化するのに役立ちますし、また、現実の人間関係をよく豊かに広げるためには、言葉にならぬ激しい想念=欲望が必要です。どのような想い・欲望であってもそれを否定せずに、しかし、それがどのような次元の欲望なのかをよく知ることが大切です。次元を混同し、並列視してしまう意識が「欲望」を葛藤させ、マイナスに作用させるのです。立体視できれば「欲望の葛藤」は葛藤から抜け出て、より豊かな内的世界・より大きなよろこびの具現化・より広く柔らかな秩序の形成に向かいます。

キーワードは、立体化・立体視ですが、現代人にこれが難しいのは、平面的で技術主義の勉強=「学」が支配しているために、平面―面積を広げるのが偉いことと思い込んでいるからです。欲望の立体視-階層の違いが自覚できるか否か?それが、意味充実のよろこびの多い生を得るための条件です。

厳禁の生でも、放蕩・無秩序の生でもなく、柔らかく美しく健全な生は、欲望の肯定とその階層分け=立体視に基づくのです。


武田康弘

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