思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

民意に基づく権力を行使することが政治の本質です。

2009-09-17 | 社会批評

民主党政権には、民意(=業界団体や大企業の思惑ではなく、ふつうの市民の声)に従い、大胆に権力を行使してもらいたいと思います。

いまだに≪権力≫を悪だと思う人がいるようですが、国家に民意に基づくしっかりとした権力がなければ、恐ろしい事態になります。無政府状態になれば、市民は安心して暮らせません。

官僚組織や業界団体や大企業などの意思を「特殊意思」と言い、ふつうの市民の公共的意思を「一般意思」と言いますが、この一般意思を実現するためには「力」が必要で、それが主権在民の民主主義における権力です。

各団体に所属する人も、ひとりの個人としての立場で、公正・公平に物事を考えれば、公共性を具現化した「一般意思」が示す見方、考え方に賛同するはずです。言わずもがなですが、市民の公共的な意思(一般意思)に基づいて権力を行使するのが民主主義の政治なのです。

いま、明治時代中期以来の「官僚国家」から「市民国家」への大転換が緒に就いたところです。ようやく民主主義がはじまります。サヨクの「国家・悪」というイデオロギー、ウヨクの「国家・命」という宗教ではなく、国家はわれわれ市民がつくるもの、という健全な民主主義をしっかり育てていかなくてはいけないと思います。

そのためには、わたしたち市民の意識変革と共に、官の思想と組織を、市民社会の良識に合わせて改革することが必須の条件となります。今日からは、「お役人のやることだから」ではすみません。

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以下は、コメント欄です。

一般意志=公共の利益 (荒井達夫)
2009-09-19 21:25:22

「官僚組織や業界団体や大企業などの意思を「特殊意思」と言い、ふつうの市民の公共的意思を「一般意思」と言いますが、この一般意思を実現するためには「力」が必要で、それが主権在民の民主主義における権力です。」(武田さん)

憲法第15条第2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」、国家公務員法第96条は、「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務しなければならない。」と規定しているのは、それだと言えますね。行政運営の思想的土台となる公共哲学は、これらの理念的文言を根拠づけるものでなければなりません。
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哲学と名乗る以上は、 (タケセン=武田康弘)
2009-09-20 01:16:35

荒井さん

「行政運営の思想的土台となる公共哲学は、これらの理念的文言を根拠づけるものでなければなりません。」
ーーー全くその通りなのですね。

≪哲学≫と名乗る以上は、出来合いの学問の常識(第二次言語)から出発することは出来ず、人間の日々の生のなまなましい現実を感じ知るところから始める根源知でなければならないのです。これは原理です。

哲学とは、生活世界の具体的経験と広大なイマジネーションにその根を持つのであり、言語の概念整理が先立ってしまえば、その意味と価値は消えます。
人間の生を直截に見ようとする直観=体験能力を意識的に鍛えることが、哲学成立の絶対条件です。

だからこそ、憲法に書かれている理念を根拠づける根源知ともなるのです。
以上のような哲学の土台について、極めて曖昧な認識しか持たない人が多いために無用な混乱をきたすのだ、そうわたしは見ています。第二次言語による整理以前の心身全体による会得が弱く、直接経験や想像力に乏しければ、まったく哲学には届きません。

コメント (3)
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