思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

公共を哲学する=生々しい現実問題をテーマに、活発な議論を!

2009-09-21 | メール・往復書簡

公共哲学のML(pub-citizen@mlc.nifty.com)において、
公共(性)の問題で、生々しい現実問題が論じられ、面白い展開になっていますので、仕掛け人の山脇直司さんと、山脇さんの誘いでMLに新しく加入された荒井達夫さんの対話を載せ、読者のみなさまにも、ご質問やご意見を頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。

武田康弘
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荒井さん

一般論として異論はありませんが、国家公務員の場合、活動の場がきわめて特殊な空間に限られているように思えます。どのような形で「全体に奉仕」するのでしょうか。イメージがわきません。

また地方公務員との関係をどのように考えておられるのでしょうか。地方公務員からなぜ国家(中央)公務員は嫌われるのでしょうか。
また、「地方主権」という言葉が現政権の下、使われ始めましたが(ちなみに稲垣さんが言う領域主権もこの意味だと私は考えています。)、この概念を荒井さんは認めますか?

さらに、三元論を金泰昌さん(彼は知識人で私も敬愛していますが、韓国籍の民間人にすぎないので、日本の国籍保有者しかなれない国家公務員の研修会に呼ぶのは不適切です!責任者の責任を問いたいと思います。)のいう(特殊な)意味だけで使わないようにして頂きたいと思います。

私の場合、2004年5月刊行のちくま新書『公共哲学とは何か)の176頁から177頁にかけて、「中央政府・地方政府を問わず、政府が実施する公共政策は、責任ある民の公共によって究極的に正当化され、また補完されるべきことを、公共哲学はつねに喚起します。」と明記しており、授業や講演でもそのことは繰り返し述べています。これは「民の公共」によって「政府の公」がダイナミックに変化すべきことを意味します。
また、行政学が専門でもある小林正弥さんもほぼ同じ意味で三元論を使っています。
なお、東大出版会のシリーズは、どこまでもいろいろな立場の人が論争を繰り広げるアゴーンを読者に提示するのが目的であり、編者はその仲介者にすぎません。本の中身をほとんど読まずに、金泰昌氏を公共哲学の権威とみなした荒井さんの出発点の判断に大いなる問題があったと、私は解釈します。

また、官報誌にすぎない『立法と調査』がどれほど影響力のあるものか、私には(少なくとも現時点では)不明であり、そうした官報誌を喧伝するのはいかがなものかとも感じています。
さらにもう一言、「官僚のキャリアシステム」問題などは、公共的争点としては相対的にマイナーなものだと私は思います。そうしたマイナーな基準だけで、公共哲学運動全体を判断するのは根本的に間違っています。もっとも私は、キャリアシステムは廃止されるべきという意見ですけれどもーー。

山脇直司
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山脇さんの質問にお答えします (荒井達夫)
2009-09-21 22:01:08

山脇さん

質問にまとめてお答えします。

「国家公務員の場合、活動の場がきわめて特殊な空間に限られているように思えます。どのような形で「全体に奉仕」するのでしょうか。イメージがわきません。」(山脇さん)

今日、国家公務員の活動の場は非常に広くなっており、そのため職種も非常に多種多様です。私も沢山知っておりますが、書き上げてもきりがないので、詳しくは人事院に聞いてください。
なお、山脇さんも、以前は国家公務員(東大教官で文部省職員)だったはずですから、「全体の奉仕者のイメージがわかない」のは、大変な問題です。他の三元論者と同様に、法の理念と現実が区別できていないのかもしれませんね。常に、国民の多くが共通に求めているものは何か、重要と考えているものは何か、を念頭に置いて、できる限りそれらを実現するよう努力するということです。一部の人達の利益だけを優先するように考えて仕事をするのでは、全然ダメでしょう。天下りや官製談合が許されないのは、「全体の奉仕者」に反するからです。


「地方公務員との関係をどのように考えておられるのでしょうか。地方公務員からなぜ国家公務員は嫌われるのでしょうか。」(山脇さん)

質問の趣旨が良くわかりませんが、「地方公務員からなぜ国家公務員は嫌われるのか」、地方公務員の方に聞いてください。私の個人的な関係では、極めて良好です。
なお、地方公務員も、「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務しなければならない」(地方公務員法30条)ことをお忘れなく。


「地方主権という言葉が現政権の下、使われ始めましたが(ちなみに稲垣さんが言う領域主権もこの意味だと私は考えています。)、この概念を荒井さんは認めますか?」(山脇さん)

「地方主権」は、主権在民の原理を当然の前提としています。そうでなければ、憲法違反になりますから。その意味での「地方主権」=「領域主権」なら、問題ないと考えます。


「三元論を金泰昌さんのいう(特殊な)意味だけで使わないようにして頂きたい。」(山脇さん)

私が批判しているのは、「一番有名な金泰昌さんのオリジナルの三元論」、と明言しています。「山脇さんの三元論」は、金さんの三元論を利用しながら、それとは違う内容だと主張しているのですから、その違いを一般の人々に良くわかるように説明する責任が、山脇さんにあると思います。それを私に求めるのは、筋違いでしょう。


「彼は、韓国籍の民間人にすぎないので、日本の国籍保有者しかなれない国家公務員の研修会に呼ぶのは不適切です!責任者の責任を問いたいと思います。」(山脇さん)

国家公務員の研修会に外国人の学者が、その分野の専門家として呼ばれ、講演を行うことに、何の問題もありません。国際化の観点からも望ましいことです。また、金泰昌さんは、佐々木毅さんとシリーズ公共哲学(東大出版会)を編集しているほどの方ですから、超一流の専門家と見なされて当然です。参議院のパネルディスカッションに金さんをお招きしたのも、そのためです。ですから、山脇さんの発言は、甚だしく不適切と思います。それでも、「責任者の責任を問いたい」のであれば、人事院に問い合わせてください。


「中央政府・地方政府を問わず、政府が実施する公共政策は、責任ある民の公共によって究極的に正当化され、また補完されるべきことを、公共哲学はつねに喚起します。」(山脇さん)

「民の公共によって究極的に正当化され、また補完され」た後は、「公」=「公共」となりますから、山脇さんの三元論は、単なる現象面について「公」=「公共」となるまでの「過程」を述べているだけになりますね。知人が、「それなら三元論と言うほどの意味はないと思う」と言っておりました。


「行政学が専門でもある小林正弥さんもほぼ同じ意味で三元論を使っています。」(山脇さん)

小林さんにも、発言してほしいですね。行政学が専門なら、キャリアシステムの問題の重要性は十分承知しているはずです。


「東大出版会のシリーズは、どこまでもいろいろな立場の人が論争を繰り広げるアゴーンを読者に提示するのが目的であり、編者はその仲介者にすぎません。本の中身をほとんど読まずに、金泰昌氏を公共哲学の権威とみなした荒井さんの出発点の判断に大いなる問題があったと、私は解釈します。」(山脇さん)

これについては、このブログでさんざん議論しており、決着は着いたと判断しています。後は読者の判断にお任せしましょう。


「官報誌にすぎない『立法と調査』がどれほど影響力のあるものか、私には(少なくとも現時点では)不明であり、そうした官報誌を喧伝するのはいかがなものかとも感じています。」(山脇さん)

山脇さんにとって影響力が不明な官報誌を宣伝すべきでない、とする理由は何ですか。影響力があろうと、なかろうと、私には「立法と調査」を積極的に喧伝する責任があります。税金で作っている以上、広く国民一般に知っていただくよう努力することは、公務員の義務なのです。インターネットで公表しているのも、そのためです。何もしないで、知られないように放置しておくのは、職務怠慢としか言いようがありません。


「官僚のキャリアシステム問題などは、公共的争点としては相対的にマイナーなものだと私は思います。そうしたマイナーな基準だけで、公共哲学運動全体を判断するのは根本的に間違っています。」(山脇さん)

キャリアシステムの問題が、「公共的争点としてマイナーなもの」という認識には、本当に驚きました。山脇さんは、新聞を読んでいるのですか?
なお、私は、キャリアシステムの問題だけを基準に公共哲学運動全体を判断するなどと、一度も述べたことはありません。
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荒井さん、武田さん

山脇直司です。
22, 2009 12:28 AM

今、明治維新以降、現代にいたるまでの民権派と国権派の対立について、ドイツ語で原稿を書くのに追われていて、武田さんのブログをみる余裕がありませんので、このMLに書きます。

それで、荒井さんの形式的な応答を真似て、私も形式的に応えましょう。

①「なお、山脇さんも、以前は国家公務員(東大教官で文部省職員)だったはずですから、「全体の奉仕者のイメージがわかない」のは、大変な問題です。」(荒井)

とありますが、東大生と同じように、国民全体に奉仕せよと考えるとしたら、それは大変な欺瞞です。国民全体が東大の授業に参加できるわけではありませんから。それとも、荒井さんは、旧国立大学の授業に国民全体が参加できるような改革案でも提唱されたのでしょうか。荒井さんのこの発言は、全くナンセンスとしか思えません。ちなみに私の母校、一橋大学は国立でしたが、徹底的に反官僚のエートスに満ちていました。私は個人的に、法学部は法科大学院として独立し、大学は教養学部中心にすべきだと思っています。

②「他の三元論者と同様に、法の理念と現実が区別できていないのかもしれません
ね。」「山脇さんの三元論」は、金さんの三元論を利用しながら、それとは違う内容だと主張しているのですから、その違いを一般の人々に良くわかるように説明する責任が、山脇さんにあると思います。」(荒井)

この二つの発言には笑ってしまいました。私の本を一度も読まずに、皮相的に公共哲学を論じていることがよくわかります。まぁ、ドイツでの仕事を終えて、落ち着いた11月以降にでも発表しましょう。赤羽さん、セッティングをよろしくお願いします。

③「常に、国民の多くが共通に求めているものは何か、重要と考えているものは何か、を念頭に置いて、できる限りそれらを実現するよう努力するということです。一部の人達の利益だけを優先するように考えて仕事をするのでは、全然ダメでしょう。天下りや官製談合が許されないのは、「全体の奉仕者」に反するからです。」
(荒井)

この荒井さんの考えにはほぼ全面的に賛成します。現場で頑張ってください。

④「地方公務員からなぜ国家公務員は嫌われるのか」、地方公務員の方に聞いてください。」(荒井)

権力が強すぎて、傲慢だからだと思います。荒井さんは例外のようなので、良好な関係を続けて下さい。

⑤「金泰昌さんは、佐々木毅さんとシリーズ公共哲学(東大出版会)を編集しているほどの方ですから、超一流の専門家と見なされて当然です。」(荒井)

うーん。金さんは、思想史などの分野では確かに一流で、私も尊敬していますが、残念ながら、日本の行政事情に疎く、戦後民主主義もあまり勉強していないので、この見方は買被りです。佐々木さんがなぜ推薦したのか、私には判りません。公務員研修所のお話を拝読した限りでは、金さんの形而上学のご披露といった感じですね。荒井さんが全く読んでいないシリーズ11巻での金さんの発言も、行政学者たちと立ちうちできない内容でした。ですから、「著しく不適切ですという」極めてフォーマル(公的な!)荒井さんのお応えこそ、不適切に思います。
なお、それはそれとして、在日外国人が地方公務員はもとより国家(中央)公務員になれることは、日本で近い将来可能だと荒井さんはお考えかどうか、お聞きしたいと思います。

⑥「それなら三元論と言うほどの意味はないと思う」と言っておりました。(荒井)

いいえ、あります。私の言う公は、英語ではofficialやformalの意味であることをお忘れなく!
また、「正統性(legitimacy)」という根本問題を荒井さんはどう考えているのでしょうか。もっとも、法律職の方にとっては重要でないかもしれませんがーー。
いずれにせよ、その知人の方を交えて、(ただし白樺記念館という武田さんのフランチャイズではなく、中立的な場所で)、11月以降議論しましょう。

⑦「小林さんにも、発言してほしいですね。行政学が専門なら、キャリアシステムの問題の重要性は十分承知しているはずです。」(荒井)

小林さんは、今、友愛の公共哲学の展開で忙しいようですが、ぜひ、発言してください。

⑧「影響力があろうと、なかろうと、私には「立法と調査」を積極的に喧伝する責任があります。税金で作っている以上、広く国民一般に知っていただくよう努力することは、公務員の義務なのです。インターネットで公表しているのも、そのためです。何もしないで、知られないように放置しておくのは、職務怠慢としか言いようがありません。」(荒井)

喧伝する義務があるということで、了承しました。

⑨しかし、私はキャリアシステムが比較的マイナーな公共的争点だという認識を撤回するつもりは、全くありません。公共哲学は、平和、福祉、人権などもっと重要な哲学的・実践的問題にコミットするべきであり、公務員の問題など二次的、三次的問題にすぎません。したがって、公務員の改革に使えるか使えないかで公共哲学を判断しようというのは、公共哲学の矮小化以外の何物でもなく、荒井さんの視野狭窄を露呈しているとしか申し上げようがありません。

⑩それで、失礼な質問になるかもしれませんが、荒井さんは若い時、哲学することを学んだことがあるのですか?


以上、ポレミークな表現になってしまいましたが、荒井さんの公務員としての活動には心から敬意を表しますし、足を引っ張るつもりは全くありません。
ただ、私との関心領域がずれていることが多いので、その場合の武田さんの調停を仰ぎます。

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追加します (荒井達夫)
2009-09-22 09:06:43

山脇さんから、さらに追加のメールで質問・反論がありました。特に重要と思われるものについて、以下に述べておきます。

①「東大生と同じように、国民全体に奉仕せよと考えるとしたら、それは大変な欺瞞です。国民全体が東大の授業に参加できるわけではありませんから。」(山脇さん)

大学教授は、自らの教育・研究の成果が社会の発展に貢献することとなるよう、日々努力すべき、ということが、大学教授の「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務する」ことの意味です。また、教育・研究の成果(授業、講演、論文執筆等)については、積極的に情報公開して、社会の評価を受けることが、「全体の奉仕者」としての責任と言えます。法の理念に基づいて、現実にどう行為するのか、と考えれば、こういうことになると思います。山脇さんは、「国民全体が東大の授業に参加できるわけない」から、「全体の奉仕者」になれないと主張していますが、これこそが、法の理念と現実の区別ができていない証拠であると言えるでしょう。

⑥「私の言う公は、英語ではofficialやformalの意味であることをお忘れなく!また、正統性(legitimacy)という根本問題を荒井さんはどう考えているのでしょうか。」(山脇さん)

日本語の「公」を英語訳して並べるだけでは、無意味です。重要なことは、「事柄の現象面の説明」としてではなく、「思想の大元の論理」として「公共と異なる公があって良い」と考えるのかどうか、この一点に尽きます。主権在民の原理から、三元論の説明の「正当性」が問われているのであり、三元論の「根本問題」と言えます。

⑩「失礼な質問になるかもしれませんが、荒井さんは若い時、哲学することを学んだことがあるのですか?」(山脇さん)

若いときは、「哲学すること」を学んだことはありません。ただし、私は、30年前もから、キャリアシステムには違和感と疑問を感じてきました。それが今日の「哲学すること」に直結しています。武田さんは、我が国のひどく歪んだ知のありようを「東大病」(=客観学への知の陥穽)と名付け、その原因を「主観を消去する日本というシステム」にあると分析していますが、私は、それがキャリアシステムの問題を根本的に解くことのできる哲学思想であると直感したのです。

「哲学すること」とは、書物から知識を得ることではなく、哲学知識を人々に説明してまわることでもありません。日々の具体的経験に基づいて、より良い人生とは何か、そのためのより良い社会とは何か、と深く問い、現実社会の中で具体的な行動を起こすことであると考えています。それが、山脇さんのような最高学府の大学教授から見て、どれほど「ちっぽけな世界」であろうと、私は、それで良いと納得しています。
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荒井さん
23, 2009 11:44 AM

昨日はドイツ語の執筆に追われていて、メールを読む時間がありませんでした。

それで、下記のご発言に関して若干のコメントをしておきます。

法の理念と現実をどう考えるかは、法哲学的に未だ決着のつかない大問題で、荒井さんの言うように、簡単に片づけるわけにはいきませんが、今はそれに立ち入る余裕はありません。

ただ、自分の研究成果を公開して公衆(The public)にフィードバックすることは、公共哲学の基本理念であり、それは公務員の理念とは関係のない事柄だと思います。

荒井さんは、完全にドメスティックなレベルだけで「公」を考えているようですが、私はそれに甘んじるわけにはいきません。どこまでも、インターナショナルなレベルで考えます。

あと、荒井さんがいまだに「最高学府」という時代遅れの言葉を使っていることに、驚きました。東大を最高学府だと思ったことは、ほとんど私はありません。ですから、そのような言葉は死語にしていただきたいと思います。

山脇直司
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山脇さん
23, 2009 6:22 PM

内容のある議論をお願いします。

これでは、反応のしようがありません。

荒井達夫
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コメント

山脇さんへの疑問 (青木里佳)
2009-09-24 01:07:34

山脇直司さんへ
青木里佳です。

山脇さんと荒井さんの議論を読み、疑問に思った点がいくつかありましたので書かせて頂きます。

1.山脇さんの外国語用語についてですが、前にも書きましたが、一般の人が見て理解できないような言葉はわかりやすい言葉に換えて説明して欲しいです。
今回の議論でもアゴーンやエートス、ポレミークという言葉が使われており、意味がわからないので辞書で調べてから読み直しました。これは私だけでなく、読んでいる一般の人々も同じように感じているのではないでしょうか。
日常的に使われないような難しい言葉・専門用語が少しでも入ると、読む側は何が言いたいのかがわからなくなり、読む気をなくしてしまいます。人によっては「普通の人がわからないような言葉を使ってインテリぶってる」と不愉快に思うかもしれません。
読む人の立場を考えて、言葉を選んで書いて欲しいと思います。

2.山脇さんも以前国家公務員として長年東大教授をしているのにも関わらず、
全体の奉仕者としてのイメージが沸かないということについてですが、これは驚きで、大変なことではないでしょうか。直接には学生さんに教えているわけですが、その授業や研究は、日本に住む人々全体の利益になるようにと考えなければ、国民の税金から出る給料をもらうことはできないはずです。

3.「荒井さんは、完全にドメスティックなレベルだけで「公」を考えているようですが、私はそれに甘んじるわけにはいきません。どこまでも、インターナショナルなレベルで考えます。」(山脇さん)

山脇さんがインターナショナルな方で、沢山の国々を訪問し、世界での経験が豊富であることは素晴らしいと思います。ですが、この話は論点とずれていると思います。
荒井さんは国内問題としてキャリアシステムの問題に取り組み、改善できるよう行動を起こしています。そのことと、世界問題に具体的に取り組むことはどっちがすごいか・偉いか比較はできませんし、比較する対象としてもずれていると思います。メジャーかマイナーかという基準で判断できることではありません。
どの国も自国の問題に頭を悩まし、どうすれば改善できるか取り組んでいますが、世界問題をそっちのけにするとか忘れているわけではありませんよね。
要するに自国問題だけに取り組んでいる人(国)はいませんし、世界問題だけに取り組んでいる人(国)もいません。どの国も自国問題も世界問題も並行して取り組んでいるのが現実ではないでしょうか。自国の問題に強い責任をもって取り組む人でなければ、インターナショナルなレベルでも高い評価は受けないはずです。

それと度々気になっていたのですが、山脇さんの相手に対する言葉遣いです。
前回書かれていたように荒井さんの官僚の世界を「ちっぽけな世界」と称したり、今回もキャリアシステム問題を「公共的争点としてマイナーなもの」と表現されましたよね。
国内的な問題=マイナー、国際的な問題=メジャーという視点・考え方から出てくる言葉・言いまわしなのかなと疑問に思いました。差別的です。

「私の本を一度も読まずに、皮相的に公共哲学を論じていることがよくわかります。まぁ、ドイツでの仕事を終えて、落ち着いた11月以降にでも発表しましょう。赤羽さん、セッティングをよろしくお願いします。」(山脇さん)

この文面も議論相手である荒井さんに対して、対等に話をするのではなく、上から応じている感じが伝わってきます。
山脇さんがそのつもりはなくても、「俺の仕事が片付いたら教えてやるよ。そのためのセッティングをよろしく」という風に聞こえてしまうわけです。

4.忙しくて余裕がないようでしたら、優先すべき仕事や作業を終えてからコメントすべきだと思います。「~で忙しいので・・」「~で読む時間がありませんので・・」と書くのは第三者から見て、議論する相手に対しても失礼ですし(相手にも生活や時間的制限がありますで)、追われている心境で書いたコメントは、読んでいても表面的な答えにしか見えません。それだったら、先にやるべき事を終わらせて、腰を据え、深みのあるしっかりした内容のコメントを書かれる方が、議論相手にも読む側にも説得力があると思いますし、公共のためになると思います。


コメント (1)
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