思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

混沌は面白いー「民主政治」は今ようやくはじまったところ。

2011-01-08 | 社会思想
今年は、また政治が迷走しますが、これは面白いことです。古い固定された秩序が変わるのは、未来を拓く条件ですから。
永田町の論理―臭いおじさんの常識が崩れ、彼らが右往左往するのを目にするのは、失礼ながら笑えます。評論家の言ではなく、日々を心豊かに生きる生活者が、主権者の言として政治をコントロールする、という民主主義の時代の始まりです。でも、始まったばかりですから、混沌はつきもの。

今までの枠組みを前提にした思考法には、なんの価値もありません。
古い日本主義=明治政府がつくった近代天皇制(靖国思想)などは論外ですが、NHKと千葉大の小林正弥さんらが喧伝するハーバードのサンデル教授の主張・「新共同体主義」(アリストテレスの目的論の復活)なども、イマジネーションの不足で未来を構想できない頭脳の断末魔でしかありません。ハーバード大や東大などに集まる古いタイプの頭脳では何もなしえないことの象徴です。

混沌から未来を拓くためには、「直観=体験」能力を鍛え、心身全体での会得を方法とする生活を送ること。「言語中心主義」から脱却し、全身で感じ知ることを基に豊かなイマジネーションを広げることです。「知」のパラダイム転換、客観主義から[主観性の知]の豊饒化へ、が必要なのです。客観知は手段に過ぎないことの明晰な自覚が、その「はじめの一歩」です。

混沌は、活力を生みだす元です。現代の混沌を大いに楽しみたいと思います。スケールの大きな新たな秩序・優れて人間的=民主的な世界の建設には、強靭な意志と持続する意志の双方が必要です。政治レベルの思考(頭脳の使い方)では何も見えません。恋知(≒哲学)レベルの思考こそが求められているのです。



武田康弘

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mixiコメント


2011-01-09 11:50:58
すかぶら
2011年01月08日 14:33

ポジティブですね(*^_^*)
そうか、前向きに行きまっしょい!

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人生(たび)の途中♪
2011年01月08日 15:13

>>混沌から未来を拓くためには、「直観=体験」能力を鍛え、心身全体での会得を方法とする生活を送ること。「言語中心主義」から脱却し、全身で感じ知ることを基に豊かなイマジネーションを広げることです。「知」のパラダイム転換、客観主義から「主観性の知」の豊饒化へ、が必要なのです。客観知は手段に過ぎないことの明晰な自覚が、その「はじめの一歩」です。

↑、山村社会に暮らしていて・・・、この発信を山村が自らし始めることが、混沌と閉塞する現代社会に風穴をあける 最大のボトムアップになると信じて、今年も歩んでまいりたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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タケセン
2011年01月08日 15:31

すかぶらさん、人生(たび)の途中♪さん

コメント、ありがとう。

わたしは、「前向き」の方が面白いので、楽天的思索者ー楽天的改革者なのです。
生まれてやがて死を迎えるまでの時をこころ豊かに楽しく暮らしたい、知的好奇心と心身のエロースを拓きながら。この今を永遠にするような現在を生きたい、というのがわたしの日々の想いです。

「閉塞社会に風穴を開ける」、というのは、とってもエロース溢れる楽しい営みですね。共に!

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よしくんぱっと
2011年01月09日 06:58

>今年は、また政治が迷走しますが、これは面白いことです。古い固定された秩序が変わるのは、未来を拓く条件ですから。

まったく同意します。

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タケセン
2011年01月09日 11:47

よしくんぱっとさん

カオスは、エネルギーの源です。わたしは、心身に元気が漲(みなぎ)ります。こどものように(笑)。

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カオスとコスモス (Cmoon&thisboy&タケセン) 2011-01-10 13:07:35

C-moon
2011年01月09日 17:14

迷走の果てに走る政治が怖ろしくて文句ばかり言い続け、永田町の論理で政治を見つめることしかできないまま新年を迎えてしまいました(苦笑)

少し離れてみると、世の中も人の意識も、カオスとコスモスの間に拡がっているグラデーションの海を移動し続けているのかな……
なかなかコスモスの陸に上がることができす、混迷の風に吹かれながらの航海を続けているのが、社会であり人なのかな……
こんな風に感じています。
また、世界各国の国生みの神話が、カオスに求められ、示唆しているように膨大なエネルギーが渦巻いているのもカオス。生成の源であり、大いなる持続を発生させるカオスに抗い難い求心力も感じます。
そして大いなる持続がやがて生みだす生の直観によって革新される持続……
政治的に見れば、政権交代は、直観だったのかもしれません。確かにある程度革新されたと思うのですが、それを持続させようとするとさまざまな力が混濁し再びカオスとなる……
きっとこのような繰り返しの現象が、進化を促しているのだと思います。
そう思うと仰るようにカオスもまた楽しい♪

今年も宜しくお願い致します。

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this boy
2011年01月09日 19:33

「混沌は、活力を生みだす元です。」
「現代の混沌を大いに楽しみたいと思います」

うーん・・・・含蓄ありますね。

政治は本当に混沌として来ました。
日本の政治の貧困は国民の貧困だからしょうがないと
思いつつイライラしますが、その混沌を楽しみたいです。

今年は私にとってもちょっとした転換期かも知れません。
でもいつでも前向きに楽しく生きたいですね。
今年もよろしくお願い致します。

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タケセン
2011年01月10日 12:58

C-moonさん 

いつも丁寧に、格調高いコメント、とても感謝です。

わたしは、社会は、あまりコスモス化され過ぎない方がよいと思っています。社会は、最小の家庭から、学校、会社、国家とありますが、一番コスモス化されている学校、とくに中学校は、人間の生きる場ではなく、缶詰工場のようです。

国家も同じで、「一般意思」は、原理的次元ではほぼ一致する可能性があり、それは必要なことですが、現実次元(政策レベル)では、なかなか一致するものではありません。いまの日本の状況は、「近代民主主義の原理」さえあやふやな所があり、その点では、断固として闘うことが必要ですが(具体的には官治主義というおぞましいイデオロギーと制度)。

山県有朋らの明治の超保守主義の政治家たちによる洗脳教育=政治により「天皇主義」が徹底してしまった為の弊害は色濃く残りますが、これを廃棄して新たな民主的倫理にもとずく社会を建造するのは、政治レベルで取り組んでも不可能です。もっと深い地点=生活世界の価値観(思想)を変革する「私」レベルでの永久革命の営みが必要です。

わたしが政府の方針を批判するのは、原理次元での逸脱とそこから派生する現実についてですが、政治家たちが、まだまだ民主制の原理についての認識が弱いために、混沌としています。この原理次元の混沌は許されるべき混沌ではなく、根源悪なのですが、具体的な政治レベルでの混沌は、あたらな世界を生むための必然ですし、それは、いつの世でもそうです(一元的支配でない限り)。その意味での混沌は必要で、面白いです。

「私」という次元のコスモス化(秩序化)がなければ、人はよく生きられませんが、「私」が楽しく生きるためには、社会全体のコスモス化を原理次元だけにとどめないとダメで、具体レベルでの社会のコスモス化は、冗談じゃない!(笑)です。「私」の人間的に豊かな生のためには、混沌でないと困るのです。その次元においては、秩序など糞喰らえ!です(笑)。

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タケセン
2011年01月10日 13:02

this boy

Cmoonさんへのお応えとダブりますので、見てください。

1月30日(日)の午後2時から、「白樺教育館」落成7周年の祝いをします。お近くですし、ぜひ、顔出しをお願いします。

Cmoonさんも、折角の機会ですから、遠いので大変でしょうが、ぜひお越しください。お待ちしています。みなで歓迎します。
コメント (2)
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