子どもも大人も人間存在としては対等であること、
このことを明瞭に自覚しないと、よき社会はつくれません。
上から目線・上意下達ほど悪いものはないのです。
「私」は上でも下でもない、互いの自由と責任によって公共を生もう、
そういう基本思想を強めないと、人間的な活力と面白さのある社会にはなりません。
社会(家庭、学校、会社、役所、国家、世界)がよきものか否かは、個々人の輝き・元気の程度にあるのですから。
どうしたら活き活きと生きられるか、それこそが最大の課題です。
先のブログに書いたように、日本の学校、とりわけ中学校の現状は、型ハメによる上からの管理を行い、子どもの自由を認めないことで、人間から元気・活力の源を奪っています。とりわけ長時間の「部活動」は、自分で考える力を萎えさせ、上の意向に従うだけの魅力のない「一般人」をつくります。これは、人間と社会に対するひどい「悪」というほかないのです。
親も子も、生徒も先生も、共によきパートナーとして、自由な雰囲気の下で心身全体による対話をすること、親や先生は、上から目線ではなく、優しさと愛情をもって対話すること。人間性豊かな対話の実践こそ、よき社会・文化を生むための条件=土台だ、とわたしは確信しています。
武田康弘