たとえば、経済学者は、家計の達人や会社経営に秀でた人ではありません。
それと同じで、
哲学研究者は、哲学する達人ではないのです。
哲学することと、哲学の研究(哲学書の読解や哲学史の知識の獲得)とは異なるのです。
この違いが分からないと、よく哲学することができません。哲学史の知識の有無に囚われていると、哲学研究者(主に大学教師)は、自らを思考の特権者と思い込み、また、知識に欠ける者は怖気(おじけ)づきます。
経済学者は、自分が現実の経済行為の達人だとは勘違いしませんし、経済学を専門に学ばなかった人も、家計や会社経営で怖気づくことはありませんが、こと哲学になると、おかしな思い込みや勘違いが横行するので困ります。
哲学するのは、ふつうの生活者が日々の体験に基づいて行うことであり、専門家=研究者がすることではないのです。
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武田康弘