思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

どうして天皇だけが特別?人間は誰もが対等な存在であるはずです。

2012-02-23 | 恋知(哲学)

わたしは、天皇制には明確に反対です。
千代田区に生まれ育ったわたしは、日本人として、よき日本をつくるために、天皇制はだんだん弱めていくべきだ、という考えを少年時代からずっと持ち続けてきました。

したがって、明治天皇(現人神)に捧げられた『君が代』は、主権者が国民に変った日本の国歌としては適さないと確信していますので、歌いません。(国歌は「さくら」か「故郷」がよい)
半世紀前ですが、わたしの通った小学校(越境入学で文京区の誠之小学校)でも、『君が代』は歌いませんでした。民主主義の考えとあわないから、という説明がありましたが、小学生のわたしは、深く納得して、その通りと思いました。

生まれながらにして特別な敬語で遇される存在が正当だというならば、人間は生まれながらにして対等で自由な存在である、という人類がつくった最良の思想と制度=人権思想を絶対の基盤とする民主主義は影が薄くなり、ボヤケテしまいます。

わたしは、一人の人間としての天皇や皇室の人々に対してイヤな感情をもってはいません。みなの税金(天皇家の生活費は年6億円)で生活している一家は、個人の自由がなく、気の毒だな、と同情しています。ダメだ、と確信しているのは、天皇制という制度=精神風土です。

わたしにとっての至高の価値は、【哲学でいう「自己の良心」であり、釈迦の言う「自己帰依・法帰依」】です。外にある制度や他人ではありません。外なる価値を絶対化する精神風土こそが、個人としての人間を幸せにしない元凶なのです。


武田康弘
コメント (8)
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