思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

主体者であるとは? 自分の体験と人の体験の区別。

2012-02-11 | 恋知(哲学)

わたしの体験から、わたしが感じ、想い、考えたこと、
と、
○○さんの体験から、○○さんが感じ、想い、考えたこと、
は、ちがいます。

わたしが、わたしの生活の中から見い出し、考えたこと、
と、
○○さんが、○○さんの生活の中から見い出し、考えたこと、
は、ちがいます。

これは、当たり前のことのようですが、
それをきちんと区別している人は案外少ないようです。

「・・・・・・なのだ。」と自分自身の経験を踏まえての確信のような話しぶりをする人の話しをよく聴くと、実は、
「情報知」や
「人伝えの話」や
「誰かの体験からつくられた考え方」であることが多いのです。

とくに、書物などに書かれていない「ある人の経験から得られた確信」の話は、出所が分からない為に、自分自身の力で獲得したように話しても、バレません。
だから、平気でウソ(言説内容がウソでなくとも、そのような話し方=生き方は基本がウソです)をつく人が多いのには呆れてしまいます。

「情報知」または人から教えてもらったことと、自ら獲得した「体験知」の区別さえできない、また、あえてしないことで「自分の株をあげる」ことをするような人間は、【民主的倫理】のない人と言えますが、それでは、その人の「考え方・生き方」が深まることは決してないでしょう。存在そのものが「軽い」としか言えませんが、そんな「優秀人」や「有名人」が大勢います。


武田康弘
コメント (1)
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