思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「一神教」的な思考を破り、恋知(哲学)の生を始めたい。

2012-02-13 | 恋知(哲学)
以下は、昨年、ある人にあてたメールの一部です。


哲学書読みの専門家や哲学マニアではない人にとって求められる哲学とはどのようなものか?
自分の生に深い価値を生み、悦びを広げ、生活世界を豊かにする哲学とはどのようなものか?
わたしは、それをつくりだしたいと思っています。

哲学とは何か?の「イメージ」をうまく提示できれば、強烈な広がりをもちますー「イメージ」とは、人の意識に直截に与えられるものですから。
ソクラテスの偉大さは、多くの人間にとって最も切実な「恋」の作用や力動として「考えることの意味と価値」を説明(問答的対話)したところにあります。それによってつくられた「イメージ」は、一般的かつ普遍的な広がりがありますので、その後に現れた一神教の世界(キリスト教)においてさえ大きな力を発揮したわけです。ただし、それゆえに、プラトンがつくった学園『アカデメイア』は、キリスト教を国教としたローマ帝国によって禁止=廃校にされたのですが。「以後、何人も哲学を教えてはならぬ」と。

話しを戻します。
恋の比喩による「イメージ」の創造・提示、そこに東洋思想がギリシャ出自の恋知に敵わないゆえんがあるのです。そして、この恋のもつ【至上性への憧れ心】は、一神教のもつ絶対性・唯一性への要求とも符合します。ただし、恋はそれが恋だと自覚されている至上性への憧れですが、一神教の神概念はその至上性を観念を超えた現実であるとする点で、根本的に異なります。
歴史的にも現実的にも、絶対的な神への信仰は、恐ろしい結果を招いてきました。哲学における「普遍的」なよきものへの憧れと、「絶対性・超越性」を求める宗教とは、根本的に違うのです。

信仰ではなく、よきもの、美しいものへの憧れ心をもつ恋知(哲学)の生を歩みたいと思います。


武田康弘
コメント
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