思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『仏教、本当の教え』(植木雅俊)ー釈迦の【自帰依とダルマ(法=普遍性)帰依】

2012-02-02 | 恋知(哲学)

植木雅俊(まさとし)著『仏教、本当の教え』(中公新書・840円)


インド→中国→日本
本書は、「伝言ゲーム」により釈迦の思想が大きく変わった様が分明に説明されていて、読んで得する書です。サンスクリット語の原典に戻っての緻密な分析に基づく叙述は説得力に富み、優れた比較文化論となっています。

釈迦の思想は、神という絶対者を置かず、現実の人間対人間の中に生きる論理です。ドグマ・占い・迷信・呪術の徹底した否定の下に、絶対平等思想により権威主義的な発想を排除しました。人の貴賤は「生まれ」によるとする見方を批判し、その人の「振る舞い・生き方・行為」によるとしたのです(仏教には女性差別は全くなかったのですが、中国において「儒教」の影響で女性蔑視となり、それが日本にも伝わりました).

絶対神を認めない仏教は、キリスト教やイスラム教という「一神教」とは根本的に異なり、「哲学」であることが分かりますが、その哲学は、天皇家を尊重し特別な敬語で遇するというわが国の「生まれ」「血筋」の重視という考え方とは、全く相いれません。人類史上に輝く根源的な民主主義思想だと言えます。

釈迦の思想は、他者に帰依(きえ=すがる・服従)することを戒め、【自帰依とダルマ(法=普遍性)帰依】を生き方の根本としました。世俗の価値に従い「他者の視線」を通して自らをとらえる生き方を批判し、自らのダルマ(法=普遍性)に目覚め、それを拠り所とする生き方を説いたのです。
「この世において自己という島に住せよ。自己という帰依処(きえしょ)は真の帰依処である。ダルマ(法=普遍性)という島に住せよ、ダルマという帰依処は真の帰依処である」(『ディーガ・ニカーヤ』第二巻、100頁)ーーーこの【自帰依・ダルマ帰依】は、入滅間近の釈迦による遺言のごときもの。

まさに、「内」からの生き方、内発的生き方そのものです。[一神教]とは根本的に異なり、「上」や「外」(絶対者≒神)からの見方の根源的否定ですので、これからの新しい世界が必要とする哲学と合致しています。

新書版で読みやすいですので、ぜひ。


武田康弘
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