思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「一神教」でも「世俗主義」でもなく、「恋知(納得)の生」こそが価値です。

2012-02-21 | 恋知(哲学)

1.キリスト教やイスラム教のような唯一絶対の神へ帰依をする「一神教」。
オウム教や天皇教のように生きている人間を神格化する「歪んだ一神教」
に基づく生き方。

2.世俗の価値意識―外的価値(東大信仰に象徴される「東大病」―知識量・財産量・履歴量を競うことが人生だとする所有主義)に基づく人生。

どちらもよくないな~~~、と昔からわたしは思ってきました。というより、ずっと【確信】してきました。


他者に従うのではなく、【私】の内奥に深い納得がもたらされる考えと生き方をしたい、それが少年時代からのわたしの思いでした。それを「恋知(哲学)の生」と呼びます。わたしは、その生き方・考え方には、深く大きな普遍性がある、という不動の確信を持ち続けてきました。

わたしは、教育を仕事とする哲学者ですが、その理念は、一人ひとりが自分自身の座標軸をもてるように=みなが恋知者(哲学者)になれるように、というものです。すでに35年が経ちました。

知歴財の【所有】競争から、【存在】のよさ(魅力)を価値とする生き方への転換ーー
ーーこれは、日本のみならず、これからの人類が最も必要とする考え方=生き方であるはずです。
われわれ人類の生き方・価値観のコペルニクス的転回が求められるはず、それがわたしの確信です。

権力や権威という外的価値に頼る人間は、害毒をまき散らす存在でしかなく、それらを必要とする【「私」=内面世界の乏しい人間】には、存在のよさ(魅力)がありません。


武田康弘
コメント (2)
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