真言宗は、鎌倉時代に起きた仏教改革以前の旧仏教で、最澄の天台宗=「密教」との近親性を持ちます。いま、六本木の『サントリー美術館』では、「高野山の名宝」と銘打って、空海の書や快慶・運慶の彫刻などを展示しています。
※(注)運慶・快慶は、空海の時代からは400年も後の鎌倉時代の仏像彫刻家。
わたしも、15日にサントリーホールでの演奏会(ゲルギエフ・マリインスキー歌劇場管弦楽団によるストラヴィンスキーの三大バレエ曲)の前に寄って見てきました。
自家の隣の寺の行事と重なって、呪術的な臭いの濃い「密教」(最澄にひきづられた空海)をよく感じることが出来ました。わたしの祖父と父は浄土真宗の修行者でしたので、親鸞思想との違いがいかに大きいかを痛感します。時の天皇と一体化した旧仏教と、それにより弾圧(死罪・流罪)された法然・親鸞の他力念仏門の相違が肌で感じられます。
※写真に見られる通り、火渡りの時に僧侶が日本刀による払いの所作をしますが、仏教の僧侶と日本刀との結びつきには驚かされると思います。
写真は、ソニーRX-1R(3枚目は中央部分をトリミングで拡大)
追記
竹内芳郎さんは、空海について以下のように書いています。
「空海のおこなったところは、原始宗教と国家宗教と普遍宗教との間の区別と飛躍を一切消し去って、これら三者をけじけなく連結するのっぺらな長提灯ーこれこそ〈天皇制〉を支える固有の宗教表象ーをつくることによって、以後のわが国の信仰のパターンを最深部において決定づけることだったのではないか。
しかもその手法たるや、最も原始的な自然崇拝や呪術信仰を最も高度に洗練された哲学的思弁でもって語るという手のこんだものだっただけに、その強力な包容力から外に逃れることは誰しも容易にできる業ではなかったのではないか、と思われる。
最澄の天台に比して空海の真言は袋小路だったというのは、ほんの外見上のことにすぎず、空海の真の影響力は、表層の宗派なぞ完全に乗り越えて、日本人のすべての宗教表象の深層構造にまでひたひたと沁みわたる態のものだったに相違ない。
事実、空海に対する個人崇拝は、この国であらゆる時代をつうじてまことに異常なものがあり、いまも高野山にのぼってみると、皇族や貴族・将軍・大名の墓から法然・親鸞の墓まで、無縁仏の賽石から宇宙産業の弾道ロケットの塔までぎっしり立ち並び、その無限抱擁性たるやただただ呆れるほかはない。
親鸞の墓を建てたのは、「親鸞仰讃会」の連中らしいが、こんな無節操なことをして己の始祖をよろこばせた気で彼らがいるところに、この国の信仰態度の特質と、それを支えている空海の影響力の程が、如実に示されているわけである。」(「意味への渇き」ちくま書房 312ページ)