思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

個人の自由時間を奪うことで、全体一致をつくる。人間性の否定=深い不幸をうむ日本の現状

2017-08-01 | 恋知(哲学)

 こどものころからお受験で、好きにいろいろやってみる、という時間を奪い、すべて大人がつくるプログラムで管理する生活は、こどもの命の力=豊かな人間的魅力を育てません。

 土日の朝から夕方までの野球やサッカークラブに所属する(親の誘導でさせられている)子どもは、「自分の休日」はなく、管理された土日があるだけです。個人性の魅力や個人の独自性は、夢のまた夢で、はじめから組織人です。公共人=社会人とは異なる団体人に仕立てられていきます。

 中学校のスポーツと器楽の部活動は、週6日間、毎日朝の練習があり、早慌てて学校へ、夕方も遅くまで、帰宅が19時ではもう夜です。夏やすみは自由時間がある~~、というのは、昔の話で、いまは部活なのでお盆前後の10日ほどのおやすみだけ。

 わがニッポン人は、どうもアリやハチ、昆虫の属性をもつように躾けられるょうです。戦前の米駐日大使グルーが語っていた通りです。誰のために?なんのために?オランダのジャーナリスト&思想家&大学教授で親日家のウォルフレンは、「人間を幸福にしない日本というシステム」と言います。ひとつの精神世界をもつ私から出発する人生は消去され、システムが命じるままに生きるのです。恐ろしい国です。「レジャーでさえ、どこで何をするかが決められている国」といぶかられます。

 試行錯誤、創意工夫、臨機応変、当意即妙、みな死語で、学習も芸術も遊びもすべて決められている通りにする国の人では、人間とは呼べず、ただの「事実人」に過ぎませんが、そういうことを意識することももうないのかもしれません。なんであれ、自分の欲望=興味・よろこび・たのしみからの出発ではないのです。ううう、底なし。

 かつてドイツではミヒャエル・エンデの『もも』(灰色の男たちー時間泥棒)が空前のベストセラーとなり、それにより、労働時間・学校拘束時間を短縮する国民運動が起こり、いまのドイツがあるのですが、日本は「個人消去=滅私奉公」という戦前からの悪しき思想を清算できないために、自分の時間こそ生きる意味、という大原則が曖昧で、いつまでも非人間的で慢性的イジメのような状況を変えられません。

 外的要請に従う貧弱な個人から、自由な精神世界をもつ豊かな個へ。それを頑張ろうよ、楽しみつつ。わが日本人!

武田康弘

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