思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

こどもを叱るのではなく、一緒に成長しよう。

2017-08-24 | 教育

 

 こどもの欲求や欲望に対する仕方で、ふつうよく見られるのは、

「約束」したのに!」
「ダメだと言っているでしょ」
「〇〇しなさい」
「〇〇すべきです」

というように、正しさやあるべき規範を押しつける態度をもつことです。

 そうではなく、
「ごめんね、それは、無理なの」(体力が続かないから、とか、時間がないから、とか、お金がないから)
と、言い、こどもの欲求・欲望それ自体は否定しない=肯定的に見ることです。

 他の子(兄弟を含む)に対する態度でも、「〇〇ちゃんがいやがることはやめようね」
と繰り返し根気よく話し続けることが大切です。互いに約束を守るとうまくいくことを実際に即して示すことです。順番、順番とか言いながら。

 こどもが強い欲求・欲望をもつのは、心身とも健康な証であり、よいことなのです。

その欲求・欲望をまずしっかりと認め、肯定することが絶対の前提で、その後で、ではどう対応しようか、を考えるのです。

時には目先を変えたり、他の対象をしめしたり、大人ができる精一杯をやり、これ以上は無理だと納得させることです。納得まではいかなくとも、我慢して次の機会を待てるようにお話をすることです。創意工夫が大切。

悪いこどもはいないのです。いつも叱らなければならないようなことがあれば、それは、こどもが悪いのではなく、それへの対応ができない親やあるいは祖父母が悪いのです。
こどもを叱るのではなく、自分の生き方・考え方を反省しないといけません。

論外ですが、
昔からある言い方で、
おまわりさん(警察)に怒られる、とか、捕まるから、という言い方は、外的「秩序」を強要し、脅迫(おどす)する言い方で、最悪です。

いまだにそういう人がいますが、これでは、「他者が嫌がることはやめよう」「他者がよろこぶことをしよう」という人間の人間的な生の基本が身につかず、カタチだけの生き方(内容の乏しい日本人!)に誘導することになります。内側から内発的に考え・生きる人間を育てないダメな子育ての典型です。

規則や規範による教育は、内的によい子=優れた人間を育てません。

欲望を肯定する教育は、人間が欲望であることを自他共に認め、互いの(親子を含む)欲望を肯定しつつ、調整することのできる人間にします。現実的でかつ内的な倫理意識をもつ人間を育てます(※ここでいう欲望とは人間が生きる原理のことで、特定の欲望を刺激し肥大化させる行為をよしとするのではありません)。

規則や規範は、誰かに強制されるものではなく、それが共に楽しく生きるために必要なアイテムであるという了解がつくれないと、無意味で抑圧的な「いやなもの」にしかならいのです。怖い見張りがいなければ破るべきもの。

子育ての現場からこそ、あたらしい優れた人生がはじまります。心しましょう。


武田康弘

 

 

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