(写真は、8月20日、車窓より。)
誰がどのような経緯で碑を作ったのかは分かりませんが、
柏駅の近く、柏市内のメインストリートに、明治天皇が休憩した場所を記念する碑が建っています。
わたしは、だいぶ以前からですが、明治天皇が休憩した場所ですという記念碑を見て、なるほど「草の根の天皇制」とはこのことか、と感心していました。
柏市は今なお「天皇教」(明治政府が創った国家神道)なのかな?(笑)まさか。
土地の所有者が勝手に建てただけなのでしょうが、戦後のもののようです。
生きている一人の男性を神として崇めるというのは、長州藩の過激な下級武士であった伊藤博文らが、薩長による日本支配を正当化するために、皇室を政治利用してつくった思想・制度ですが、そんな子供騙しが戦後も続き、いまなお安倍首相らが集う「日本会議」(篭池夫妻や大阪維新の会や自民党の多数)という右翼団体が幅を利かすのでは、日本という国の行く末が思いやられます。理性はあるのでしょうか。現天皇の明仁さんや美智子さん、また皇太子夫妻も忌み嫌う思想です。
明治維新政府がつくった天皇崇拝というカルト教ではなく、皇室は、日本最大の旧家として、文化的な存在として遇し、国事行為に象徴的存在が必要ならば、政治家ではない国民の代表を大統領として、政治権力をもつ首相とは別に選んだらよいのです。
いつまでも戦前思想の亡霊が復活するような国では、自由な個人が輝く社会を拓くことができません。気持ちの悪い維新の国体思想=靖国思想(国家カルト)は、きちんと清算しないと、ほんらいのよき日本の伝統も花開かないはずです。維新の尊王攘夷という思想をきちんと葬らないと、未来はないでしょう。
武田康弘