Amazonのお知らせで偶然手にした『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書547)は、知的な悦びに溢れ、あまりに面白く、一気に読んだ。
これほど優れた本を書く人はどんな人か、浦久俊彦とは名前も知らないが、裏表紙の簡単な紹介文をみて、なるほど。ただの「事実学」を足し算する日本の大学ではなく、高校卒業後、フランスに渡り、パリで音楽学、歴史社会学、哲学を学ぶ、と記されている。
この見事な全体性と明晰性をもつリストの伝記は、知りたい、書きたい、という思い=欲望が先にあり、その思いは、「事実学」というちっぽけな知を超えて、優れた思考により豊かな意味をもつ「本質学」となっている。極めて明晰、分明で楽しい。
まえがきには次のようにある。
「単純な疑問でも、情報ではなく、思考で解決しなければならない。・・情報の氾濫によって、世間からかえって知性が失われて、思考が停滞しているように思える。この世のなかで、情報だけで解決できることはほとんどない。・・情報をいくら積み上げても、知性にはならない。」
「そろそろ西洋の呪縛っから解き放たれた「日本のクラシック」が誕生してもいいころだと思う。そのためには、西洋音楽を聴くだけではなく、西洋音楽をいかに日本の文化にドッキングさせるかを考えるべきだ」
まさに孤高の作曲家・清瀬保二氏の思いと重なる言葉だ。
19世紀からの今を考え、知ることは、実に有益です。本書は、細部を学びながら同時に俯瞰的な眼が養えます。音楽関係者のみならず、人間に興味のある方には必読本と思います。 わたしもこれから再読です。
武田康弘