思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ノット・東響『ドン・ジョヴァンニ』全曲。超がつく名演は、純粋なカタルシスをもたらした。

2017-12-11 | 芸術

ブラボー!の後で、
グレイト!と叫んでしまった。

なんというモーツァルト。
言葉がない。

まるで映像が見えるようにクリアーなノットの解釈。
『ドン・ジョヴァンニ』のイデアを直接見るごとくの名演に、ただ感動、鳥肌。
いま
までの演奏とは根本的に違う。
を生きる人間存在への問いは、深く強いが、暗さ・陰鬱さはなく、純粋なカタルシスとでも呼ぶべき体験を与える音楽の提示に、興奮が覚めない。

オペラ音楽の体験と生の体験が重なる圧倒的な演奏会。ニーチェは、音楽を特別な芸術と位置付けたが、それは人間存在の時間性を象徴するからだ。その音楽の指揮者・実践者として、ノットは最高の存在だ。

一分の隙もなく、あっという間に時が過ぎる完璧な演奏だが、それはクールな演奏の反対で、ホット。すべてが生きている。オーケストラも歌手も指揮者もみなが有機的に一体で見事というほかはない。指先まで神経が行き届いているのに、神経質さはまるでなく、のびのびと広がる。シャープなのにキツサはなく、柔らか味がある。圧倒的な迫力だが、美しさ・品位の高さが全曲を覆う。

こんな楽しい演奏会はない。ここには権威的なものは皆無。教養としてのクラシックという厭らしさはゼロ。これ以上はない豊かな人間たちによる「理想の時間」があった。ノットは骨の髄から人間愛に満ちたデモクラシストだな、と実感した。それにしてもその指揮姿は惚れ惚れするほどしなやかで美しく、音楽の意味を視覚化している。

各プレーヤー、歌手の一人ひとり、脇役などいない。みなが主役で、みなが生きている。全体を構成したはずのノットもまた、みなの一人になっている。みなに埋没しない一人ひとりがみなで演奏する。音楽は燦然と輝き、演奏者も観客もみなが幸福に包まれた。なんという幸せ。

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武田康弘

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民主的倫理5 「恋知者」(フィロソファー)は、青空と太陽を愛でるのです。

2017-12-11 | 学芸

青空と太陽をよろこび愛でるのが恋知者(フィロソファー)の態度です。

特定の宗教や自国万歳という想念とはまったく無縁の「自由で柔らかく豊かな人間性」をもつのが恋知者です。

恋知者の宗教は、自然への愛と畏れです。経典や教義はありませんし、仰々しい儀式や形式とは無縁です。

権威ある経典や立派な儀式や大勢の人を集める組織とは、なんであれ、一人ひとりの精神の自由を奪い、しなやかで奥深い人間性・生き生きとした健康な心身・伸び伸びとした囚われのない意識を育てません。

遠くを見る習慣、無定形な雲を見る楽しみ、青空をよろこび、太陽のエネルギーを愛でる心、夜空の星々に我を忘れる感動、それは、心の内からよきものを無尽蔵に生みだす秘訣です。自然宗教に戻れ!それが恋知者の倫理です。

民主的倫理の基本は、自然です。生まれながらに敬語で遇するような存在を置く人為は、よき人間性を生みません。

 

 


(2016年の年賀状=下半分の複写です。)

 

武田康弘

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