ブラボー!の後で、
グレイト!と叫んでしまった。
なんというモーツァルト。
言葉がない。
まるで映像が見えるようにクリアーなノットの解釈。
『ドン・ジョヴァンニ』のイデアを直接見るごとくの名演に、ただ感動、鳥肌。
いままでの演奏とは根本的に違う。
今を生きる人間存在への問いは、深く強いが、暗さ・陰鬱さはなく、純粋なカタルシスとでも呼ぶべき体験を与える音楽の提示に、興奮が覚めない。
オペラ音楽の体験と生の体験が重なる圧倒的な演奏会。ニーチェは、音楽を特別な芸術と位置付けたが、それは人間存在の時間性を象徴するからだ。その音楽の指揮者・実践者として、ノットは最高の存在だ。
一分の隙もなく、あっという間に時が過ぎる完璧な演奏だが、それはクールな演奏の反対で、ホット。すべてが生きている。オーケストラも歌手も指揮者もみなが有機的に一体で見事というほかはない。指先まで神経が行き届いているのに、神経質さはまるでなく、のびのびと広がる。シャープなのにキツサはなく、柔らか味がある。圧倒的な迫力だが、美しさ・品位の高さが全曲を覆う。
こんな楽しい演奏会はない。ここには権威的なものは皆無。教養としてのクラシックという厭らしさはゼロ。これ以上はない豊かな人間たちによる「理想の時間」があった。ノットは骨の髄から人間愛に満ちたデモクラシストだな、と実感した。それにしてもその指揮姿は惚れ惚れするほどしなやかで美しく、音楽の意味を視覚化している。
各プレーヤー、歌手の一人ひとり、脇役などいない。みなが主役で、みなが生きている。全体を構成したはずのノットもまた、みなの一人になっている。みなに埋没しない一人ひとりがみなで演奏する。音楽は燦然と輝き、演奏者も観客もみなが幸福に包まれた。なんという幸せ。
武田康弘