思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

チャイコフスキー交響曲6番「悲愴」 テオドール・クルレンツィスに度肝を抜かれた。

2017-12-20 | 芸術

テオドール・クルレンツィス。
このギリシャのアテネに生まれ育った桁違いの才能に度肝を抜かれた。
2500年前のピタゴラスによる音階発見・創造まで想わせるがごとくの根源性に、全身が金縛りにあう強烈な体験。

それは、また同時に、官能的でかつ貴族的な美しさを湛えるマニエリスムの絵画を想わせるようでもある。繊細さと大胆なデフォルメが一体の抗しがたい魅力が横溢する「悲愴」は、全く聴いたことのない音楽で、恐ろしくなるほど。鳥肌が立ちっぱなし。なぜか、エカチェリーナ2世によるエルミタージュ美術館をも想った。

なぜこれほどまでに独創的で強い説得力をもつ演奏が可能なのか、謎だ。

わたしは、以前、あきれるほど自由な天才ヴァイオリニスト・コパチンスカヤが弾くチャイコフスキーのヴァイリン協奏曲をCDで聴いたとき、オーケストラが独創の塊のコパチンスカヤとピタリと合っているのに仰天し、この指揮者は誰なのか、すごい人がいるものだと感嘆したが、どこの誰かも知らずにいた。また、二曲目のストラヴィンスキーのカンカータ「結婚」というはじめて聞く曲の面白さにも嵌り、続けて聴くと、こちらの方により豊かな芸術的を感じた。

その指揮者がテオドール・クルレンツィス。アテネ生まれでアテネで教育を受け、ロシアで活躍するという1972生まれの指揮者に、なぜか古代アテネを想った。現代につながる人類最高の文化を生み出した小さな古代都市国家アテネの奇跡、悠久の時間と研ぎ澄まされた現代性の双方をクルレンツィスの指揮に聴いたのだ。



武田康弘

 この後で、いろいろ分かってきました。下の記事をごらんください(クリックで飛びます)。

クルレンツィスを知り、「クラシックという名のイデオロギー」という言葉をつくりました。革命です。

目が点!のテオドール・クルレンツィス感動のインタビュー記事 「レコード芸術」

クルレンツィス(と、コパチンスカヤ)の写真集をつくりました。初来日決定!!(嬉)


 

 

コメント
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