思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

元号問題 明仁さんは、明治維新の思想(天皇現人神)を嫌悪し、それを絶ったのです。

2019-01-24 | 社会思想

 元号問題についてです。

 いま天皇という役にある明仁さんが自身の意思で「退位する」ことにより、明治維新がつくった「天皇教」(国体思想=靖国思想=国家神道)は壊されることになりました。
 現在、靖国神社の理論的中心者である小堀圭一郎(東大名誉教授)は、嘆き憤っていますが、大多数の国民にとっては、岩倉具視や伊東博文らのつくった天皇現人神(てんのうあらひとがみ)というカルト的思想がなくなるのは、とてもよいことです。
 天皇を神とするので、元号は天皇の死によってのみ変わるもの、というのが明治維新の思想でした。ですから、昨年の「明治150年祭」の式典には、明仁さん、美智子さんは参加しませんでした。



以下に、2004年8月31日に書いたものを再録します。


 一人の人間の死によって時代の名称―区分を変えるというのは、古代王政の空間・領土とともに、時間・時代も王が管理するという思想に基づくものですが、この制度が世界に唯一つ生き残ってしまったのがわが国の元号問題です。

 その死によって時代の名称や区分までも変えてしまう制度―誰も手の届かない超越的な人間が存在しているという感覚は、日本人の意識の奥深いところで、個人の自由意識と責任感を萎えさせてしまいます。「対等な個人がその自由と責任に基づいて公論を形成し社会を作り上げていく」という市民社会の原理がボヤケテしまうのです。新たな時代を開き歴史をつくる主体は、市民=公民=社会人としての自分であり、特権者はいないのだ、というシチズンシップ(市民精神)の育成を深層において阻害するのです。「エリート主義」という歪んだ考えを生み出してしまいます。

 また、この元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。例えば、天皇主権から国民主権へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます。これでは、ほとんど星占いと同じレベルで歴史の意味が語られる!というお粗末にしかなりません。「平成の世」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなるのです。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。

 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきでしょう。現在、役所は、自民党―中曽根内閣が強行採決で決めた「法律」により、元号を強制されています。北朝鮮も驚く国粋主義!ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればいいのです。

 世界的にはイスラム暦も多く使われているので、ほんとうは、ギリシャのソクラテスの誕生年(紀元前469年)を起点とする暦を「世界暦」とするように国連が各国に提唱すればいいのですが、現在のところ、これは夢物語でしょう。(ギリシャ文化を受け継いだのがアラビア=イスラム文化ですし、仏教思想もギリシャ思想と出自―基本が同じですので、世界的な了解が得られるはずです。)


武田康弘(2004年8月31日)

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