思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇家のみなさま、江戸城に住み続けるのはよろしくないと思います。元々天皇家の財産ではないのですから。

2019-09-09 | 社会思想

 天皇家は、薩長同盟による革命=明治維新に利用され、同調し、利害を共有しましたが、
それにより、まったく縁もゆかりもない江戸城に住む(住まわされる)ことになりました。150年前のことです。

 皇族は神の系譜であり、天皇は現人神(生きている神)と規定され、そのように遇されました。
全国民は、臣民と呼ばれ、軍隊は天皇の軍隊=皇軍と言われました。国民=臣民は天皇の赤子とされました。

 日本人は、政府=国家権力により天皇の下に拝跪させられましたが、国民は好んで天皇に拝跪したとも言えます。天皇教という宗教(国家宗教)ですから、信者である国民は、自ら進んで天皇に帰依して自分を差し出したのでした(今も世界に一カ国だけ残った「元号」を有り難がり、令和令和と喜んでいるのですから、天皇教は健在ともいえます)。

 自分自身を拠り所にせよ、というブッダ=釈迦の思想とは逆に、天皇を拠り所にするのが日本人のようです。今でも公的に天皇・皇室制度を批判することは許されませんので、テレビも新聞も天皇礼賛のみで、本来の思想の自由は、日本という天皇主義の「官僚王国」(ギリシャ史家の村川堅太郎の言葉)にはありません。野党第一党の立憲民主党も、基本政策を「令和デモクラシー」と呼んでいます。


 いまだに江戸城に住み続ける天皇家では、道徳に反してしまいます。

 1945年9月2日に降伏文書にサインして、無条件敗戦をし、

主権者が天皇から国民へとコペルニクス的転回をして、明治憲法(「大日本帝国憲法」)から日本国憲法に変わり、昭和天皇が「人間宣言」をして現人神(あらひとがみ)ではなくなった後もまだ、赤の他人である徳川家の居所=江戸城に住み続けているのでは、誰が見ても「不道徳」と思います。国民の公園として、日本国民の共有財産とすべきではないでしょうか。

 天皇家は、ほんらいの住まいである京都御所に戻らなくていけないはずです。それは理の当然でしょう。権力で奪えば正当というのでは、人の道に外れてしまいます。

 天皇家のみなさま、きちんと考えてください。不道徳はいけませんので。


武田康弘


以下は、fbのコメントですがその通りと思います。


  • 菅沼緑 GHQは天皇を裁判にかけるよりも、象徴の役割を担わせて、人々の精神的なシンボルとして存続させることにしたと言いますが、それは、明治以後の主権天皇を温存することにも結果的になってしまったのではないでしょうか。
    そして、日本人の精神構造もなに一つ変化を為し得ず、根底も同じままだという気がします。
    現在の皇室典範というものの成り立ちを一つも知りませんが、これとて、戦後改定されていたとしても、おそらく戦前と変わったのは、現人神ではないということくらいで、扱いはまんまなのでは。
    皇族たちの生活は庶民のそれとはかけ離れた、実体など想像も及ばないことで、目も手も届かない遠くの存在として、現人神に近い尊き人々としてあることで、庶民は逆にありがたき存在として敬いざるを得ないことになったのではないでしょうか。
    そうしたことが、日本人の精神構造を金縛りに押さえ変化のひとつも許さなかったことが、私などからすれば全てが間違いだったと思います。
    皇室典範というものを解体するべきだと思うのです。

 



 

 



 

コメント
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