思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

形式―儀式に頭を下げる人生ではなく、中身・内容のよさで生きる意味充実の人生を。天皇教=元号教に従うのは困りもの。

2019-10-05 | 学芸

みなさま

立派な形式=仰々しい儀式があり、中身・内容のないのを特徴とするのが天皇教ですので、その時の状況により何にでもなれます。

戦争をし続けてきた明治から無条件降伏までは、皇軍の神でしたし、戦後民主主義になれば、平和の顔というわけです。

その象徴が一世一元の元号制度ですが、わたしは、そのような宗教的心性をまったく持ちません。

したがって「天皇教=元号教」とは縁のない考え方ー生き方できましたし、今後もそうします。

わたしの知人や友人には、同様の意見の人が大勢います。

みな、天皇教=元号教には少しのシンパシーも持たず、むしろ、嫌な気持ちになります。

ここで大切なのは、「わたしは、天皇教徒ではなく、元号は使わない」というハッキリとした意思です。

その意思を明晰にすることが、わたしの精神の自由を担保することになります。

あなたには、あなたから始まる個性的で豊かな心、水のようにしなやかで強い精神、のびのびとした自由な言動と笑顔で生きてほしいと思います。

形式―儀式に頭を下げ従う人生ではなく、中身・内容のよさで生きる意味充実の生を歩んでください。わたしはもちろんそうして生きてきましたし、これからもずっとそうします。

※先のBlogもぜひご覧下さい。




 武田康弘 (写真は2019年9月)

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