昨日のBlogは、こどもたちに元気と勇気を与えました(嬉)。
読んだ子は、興奮気味によろこびを隠せず、上気し、満面笑顔。 天皇は、主権者に雇われている象徴なんだ! 給料は、親の出す税金からだ!
自分の自由と責任で国をつくる!!誰かに頼るのではなく、自分の頭で考える、自分自身として生きる、主権はおれにある、わたしにある、それがどれほどのパワーを生むか!!目の当たりにして、私も興奮。
中身のない儀式宗教=天皇教に基づく天皇制が、どれほどみなを委縮させているか、その証明でもありました。なんだか分からない天皇という超がつく敬語で遇される存在があり、それに対しては、無条件で頭を下げる!? これでは、自分の存在を超えた他者に拝跪するということになってしまい、実存としての生=精神の誇りは消えてしまいます。
囚われなく、のびのび自由に考え、発言し、行為する。そこで初めて責任という概念が生まれ、責任を引き受ける私という主体者が誕生する。この絶対の原理が曖昧な日本という国は、もとからアウトです。変えましょう~~ あなたが変われば、変わります。
日本の国で、一番偉い人は誰?
国民主権の国ですから、あなたとわたしです。
じゃあ、天皇って何?
主権者である国民が、「象徴」という勤め(務め)をしてもらうために雇っていて、身分は特別公務員です。
主権者であるわれわれ国民は、年に3億数千万円(天皇家の私費として)を払っています。ただし、特別扱いで、所得税も住民税もゼロ円ですし、各種保険料もゼロ円です。住まいは徳川家の城=江戸城で、広大ですが、それにかかる費用は別途、税金で維持します。
え!それなのに、特別な敬語で呼び、われわれ主権者より偉い!という扱いなのはなぜ?
キリスト教の国では、こどもが生まれると、すぐに洗礼を受けさせてクリスチャンにしてしまいます。
日本では天皇教という宗教、中身はない(というより、その時その場の空気で変わる)【儀式宗教】の信者に自ずとなっていくのです。「私は私」という意識をあまり持たせないように教育しますから、周りに合わせるのが当然という考えに次第に染まっていきます。いつの間にか「天皇陛下万歳!」という人になっています。
ええっ!嫌(いや)だと言ったらどうなるの?
さあ? どうなるのでしょうかね。わたしは、天皇教はよくない、と思い、「恋知」(フィロソフィー)の生を提唱し、そう生きてきました。自分では、重苦しい天皇教という集団同調の生き方とは異なるよい生き方と思っていますが、周りの人がどう思っているかは、知りません。
明治政府がつくった天皇教という思想(国家宗教)とは切れた考え方ー生き方を選ぶか、あるいは、集団同調で生きるか、それは、あなた次第です。ブッダの言うように自分自身と法則を究極の拠り所にして生きるか、天教教徒=集団同調者として生きるか?
で、国の主人とはだれ? 天皇陛下!じゃなくて、あなた!とわたし!のはずですね。
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「私と共和制」 楽しい公共社会を生むために + 人類思想の三分類と恋知 ぜひ、お読みください。