著者は、ベートーヴェンがシラーの詩をもとにしてつくった歌詞のドイツ語の意味を明瞭に教えてくれます。
「ベートーヴェンは、わざと『歓喜の歌』の歌詞に、キリスト教の用語を使っていません。
なぜなら教会権力が都合よく利用し、人々を依存させるとわかっていたからです。彼は、キリスト教がなくても、真の幸福をつかむことが可能で、聖書や教会がなくても、自然の中や私たちの心の中に神を見つけられると考えていました。」とのことです。
歓喜よ、
麗しき神々の火の粉よ
「ここで神ではなく、神々と複数形にしているのは、驚くべきことで、一神教であるキリスト教においては、神は一なる存在だからです。ベートーヴェンは、古代ギリシャ神話から多くを借りて作詞しています。キリスト教に対して自由に発言できなかった当時、堂々と神々とした勇気を、わたしは心から感服します。」
「そもそも「罪」(人間の原罪)とはキリスト教の教会がつくりだした産物です。」
「古臭い社会秩序やルールからまずは、自分自身を解放すること。内なる声を聞いて、心の革命を始めること」
「他人に振り回されずに、素直に自分の心に従えば、結果はとても素晴らしいものになるでしょう」
「ベートーヴェンは、さらに一歩進み、他者を助けることから生まれる幸福は、世俗的な幸福ではないと言っています。それは「聖なる幸福」と呼べるもの。」
このようなベートーヴェンのメッセージの意味を知れば、より深い感動がやってくる、と著者は言います。
第九を聴く人、歌う人は、ぜひ読んでみてください。また、第九と日本との深い関係についても記されています。
叙述は、平明・簡潔です。著者がはじめから日本語で書いた本です。
武田康弘