思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「反人権宣言」の著者ー八木秀次が安倍政府の教育再生委員ー「人権は欧米がつくったイデオロギー」と主張!

2014-03-06 | 社会思想

ちくま新書から、「反人権宣言」を出し、

「われわれは『人権』という言葉に怯える必要はない、人権とは、『裸の個人』というありもしない概念を用いてつくられた欧米のイデオロギーにすぎない。日本人は日本人としての自覚を持ち、わか国の常識に戻るべきだ。」

と主張しているのが、安倍首相のお友達で、安倍首相の肝いりで政府の教育再生委員になっている八木秀次という高崎経済大学の教授です。

これで、人権について国連で発言しても、まったく説得力がないのは、火を見るより明らか。

とんでもない「日本主義」(明治政府がつくったイデオロギー=国体思想)で教育改革をすすめるわが日本、世界の孤児になるのは時間の問題です。

 

武田康弘

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社会契約とはなにか (安倍自民党新憲法案の背後にある思想=近代民主主義・人民主権の骨を抜くー第2回)

2014-03-02 | 社会思想

社会契約説(論)の中心思想は何か?
これは明瞭で、人民主権です。

イギリスのロックもフランスのルソーも、国を治める最高の力=主権は人民にあるとしなければ、新しい社会を拓くことはできないと確信しました。その根本思想に基づいて社会の仕組みをつくらなければならない、と考えたのです。

社会契約とは、通常の意味でのさまざまな契約(ローン契約とか保険契約とか・・)の下にある「根源的契約」です。まず、一人ひとりの人間を自由と責任をもつ「個人」とし、その個人が互いを対等で自由な存在として認め合うという約束=契約を結んだものとするのです。その契約(根源契約)が成立することでルールは始めてルールの正当性をもつことが可能となります(したがって、上位者が勝手に決めたルールは、根源違反のルールで、ルールではありません)。

現代の常識では当たり前に思えるでしょうが、社会契約という思想は、われわれの近現代社会を成り立たせている原理です。クルマ社会になってからは信号機のシステムが交通の原理となっているのと同じで、その原理がなければ、社会を内側から支える秩序は消え、個々人は色を失います。

一人ひとりの人間がそれぞれの「よさ」を開き、悦び・幸福を求め、充実した生を送ることを可能にする「社会」(=公共性・互助性)の原理、それが社会契約という根源契約の思想なのです。

したがって、2005年に自民党の国会議員が社会契約説(論)に則らない新憲法案をつくろうと考えていたとは呆れ返る話としか言えませんが、昨年・2013年には、その自民党の新憲法案が現実に現れたのですから、驚きです。これは、人類が長い間かかって到達した社会思想を骨抜きにするものですが、同時に、第二次大戦後の世界秩序に挑戦する「日本主義宣言」とも言えます。

 

次回は、その舞台裏(「個人」という概念を否定する安倍首相の想念)を書きます。


武田康弘

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安倍自民党新憲法案の背後にある思想=近代民主主義・人民主権の骨を抜く)(1)『2005年の証言』

2014-03-01 | 社会思想

いま、忙しくて時間が取れないので、少しづつ発表します。最初は、『2005年の証言』です。

 

 遡ること2005年、わたしに一通のメールが来ました。

以前に、一度だけ拙宅を訪れたことのある参議院に勤めるAさんからです。

 

 「社会契約説の意味について教えてほしい」という内容でした。

なぜかというと、自民党の国会議員らが新憲法案をつくるにあたり、その新憲法案は「社会契約説」に則らないものにしたいー日本は契約社会ではないし・・などと話していたから、とのこと。

社会契約説に則らない憲法案?では、そもそも社会契約説とはなにか?法案づくりのプロたちも釈然としないの で、Aさんは、面識のあるわたしに「教えてほしい」とメールしてきたのでした。

 わたしは驚きました。国会で法律文をつくっている専門家が、近代民主主義の原理である「社会契約説(論)」の意味を知らないとは。

単なる技術知と事実学(パターン知と暗記による)だけで、事象・物事の意味本質を探求しない日本教育の成果!?だな~~と変な感心をしたものです。

しかし、もっと驚いたのは、社会契約の思想に基づいた現『日本国憲法』の下で国会議員になっている人が、社会契約を否定する 憲法案をつくろうとしている!という事実でした。

なんということ、戦後の民主主義を否定してまた国体思想に戻ろうとでもいうのか?と呆れ返りました。


 

この話は、少し視点が異なりますが、昨年11月号の月刊「地方自治・職員研修」にも書きましたので、そちらもご覧ください。


次回は、近代民主主義の屋台骨である「社会契約論」とは何か、について書きます。

 

武田康弘

 

 

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