いま、忙しくて時間が取れないので、少しづつ発表します。最初は、『2005年の証言』です。
遡ること2005年、わたしに一通のメールが来ました。
以前に、一度だけ拙宅を訪れたことのある参議院に勤めるAさんからです。
「社会契約説の意味について教えてほしい」という内容でした。
なぜかというと、自民党の国会議員らが新憲法案をつくるにあたり、その新憲法案は「社会契約説」に則らないものにしたいー日本は契約社会ではないし・・などと話していたから、とのこと。
社会契約説に則らない憲法案?では、そもそも社会契約説とはなにか?法案づくりのプロたちも釈然としないの で、Aさんは、面識のあるわたしに「教えてほしい」とメールしてきたのでした。
わたしは驚きました。国会で法律文をつくっている専門家が、近代民主主義の原理である「社会契約説(論)」の意味を知らないとは。
単なる技術知と事実学(パターン知と暗記による)だけで、事象・物事の意味本質を探求しない日本教育の成果!?だな~~と変な感心をしたものです。
しかし、もっと驚いたのは、社会契約の思想に基づいた現『日本国憲法』の下で国会議員になっている人が、社会契約を否定する 憲法案をつくろうとしている!という事実でした。
なんということ、戦後の民主主義を否定してまた国体思想に戻ろうとでもいうのか?と呆れ返りました。
この話は、少し視点が異なりますが、昨年11月号の月刊「地方自治・職員研修」にも書きましたので、そちらもご覧ください。
次回は、近代民主主義の屋台骨である「社会契約論」とは何か、について書きます。
武田康弘