思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

社会契約とはなにか (安倍自民党新憲法案の背後にある思想=近代民主主義・人民主権の骨を抜くー第2回)

2014-03-02 | 社会思想

社会契約説(論)の中心思想は何か?
これは明瞭で、人民主権です。

イギリスのロックもフランスのルソーも、国を治める最高の力=主権は人民にあるとしなければ、新しい社会を拓くことはできないと確信しました。その根本思想に基づいて社会の仕組みをつくらなければならない、と考えたのです。

社会契約とは、通常の意味でのさまざまな契約(ローン契約とか保険契約とか・・)の下にある「根源的契約」です。まず、一人ひとりの人間を自由と責任をもつ「個人」とし、その個人が互いを対等で自由な存在として認め合うという約束=契約を結んだものとするのです。その契約(根源契約)が成立することでルールは始めてルールの正当性をもつことが可能となります(したがって、上位者が勝手に決めたルールは、根源違反のルールで、ルールではありません)。

現代の常識では当たり前に思えるでしょうが、社会契約という思想は、われわれの近現代社会を成り立たせている原理です。クルマ社会になってからは信号機のシステムが交通の原理となっているのと同じで、その原理がなければ、社会を内側から支える秩序は消え、個々人は色を失います。

一人ひとりの人間がそれぞれの「よさ」を開き、悦び・幸福を求め、充実した生を送ることを可能にする「社会」(=公共性・互助性)の原理、それが社会契約という根源契約の思想なのです。

したがって、2005年に自民党の国会議員が社会契約説(論)に則らない新憲法案をつくろうと考えていたとは呆れ返る話としか言えませんが、昨年・2013年には、その自民党の新憲法案が現実に現れたのですから、驚きです。これは、人類が長い間かかって到達した社会思想を骨抜きにするものですが、同時に、第二次大戦後の世界秩序に挑戦する「日本主義宣言」とも言えます。

 

次回は、その舞台裏(「個人」という概念を否定する安倍首相の想念)を書きます。


武田康弘

コメント (2)
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