思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

日本人は、魅力がない人が多すぎ~~なぜ?  ネオテニーの自覚を。

2017-08-08 | 恋知(哲学)

 

 スタティック(静的)で、真面目顔、固くて規則通り、既存の価値に従うだけ、周りに合わせて自己主張がない、無表情、心からの笑顔とは無縁でつくられた顔、紋切型で型ハマリ、そんな人や、そんな人もどきで溢れているのがニッポン人!!??

うん、そういう人が多すぎです。イキイキ、面白そうな顔や、躍動感のある歩き方・身のこなしをしている人、はっきり大きな声で話す人、外ではなく内からの心身の動きをする人は、滅多にいない~~~~~~~~~~。

 首相からして紋切型の極みの表情で、まるでネクロフィリアのよう。そういえば首相の一番のお気に入りの女性・稲田元防衛大臣も、怖ろしいほどの仮面顔。豊かな人間味や自由な想念の広がりとはまったく無縁で、正反対。

 

 自由にのびのび、にこやかで楽しい、自然と笑みがこぼれる、型にハマらず面白い、
権威に権力にも有名人にもみな対等でにこやか。ふつう。自分からはじまる自分の命を存分に生き、存在の魅力に溢れる人として生きる。それが人間のほんとうの生です。こどものようにね。

 人間の生命体としての特徴は、ネオテニー(幼い心身の特徴を持ったまま成長する動物ーギリシャ語で「若さ+延長」の合成語)です。
だから、ほんとうの・ほんらいの人生とは、こどもの特徴を伸ばし続けて生きるのです。

 では、こどものよさ=人間のよさとはどういうものか。人類学者モンターギュの書いた「ネオテニー」から少しだけ抜粋してみましょう。

自ら笑う、よろこぶ心、遊び心、好奇心、驚く心、意味づけ体系づける欲求、ユーモアのセンス、愛の欲求と愛する能力、機知、想像力、創造性、楽天主義、率直、公正、正直さ、同情的知性、歌い、踊る、自由、開かれた心、寛容さ、柔軟性、しなやかさ、適応性、学ぶ欲求、実験精神、探究心、弾力性、跳ね返す力、考える衝動と考え好き、偏見のなさ、感受性・・・・

 

 せっかくの一度きりの人生です。知識や履歴や財産の【所有】の多さを競うのではなく、【存在】そのもののよさ=魅力を発揮して生きたいものです。こどものよさに学んでね。新しい日本人をはじめよう!

 

武田康弘

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我孫子の手賀沼花火です。

2017-08-06 | その他

大学生クラス、途中休憩で、白樺教育館屋上で花火を楽しみました。食べながら、飲みながら、写真も。

フェイスブックをみてください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本に一番必要な政党は、共和党です。民主主義をきちんとするには、共和主義しかありません。

2017-08-05 | 社会思想

 明治維新政府、伊藤博文が中心となってつくった新政府の思想は、吉田松陰から受け継ぐ水戸学のイデオロギーで、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道です。

 これは、現代の言葉ではカルトそのもので、それを政府が小学1年生から教育し、さまざまな手法で国民を洗脳したわけです。この国家神道は、靖国思想=国体思想とも呼ばれます。それは、長い武家社会の中で祭祀を司る役割を担ってきた天皇ー皇室を、国家の表舞台に引き出し、長州藩の下級武士たちが自らの日本支配を正当化するためのアイテムとして利用したのです。

 この「明治政府のイデオロギー」をいまに受け継ぐのが、安倍晋三首相であり、「日本会議」に集う人々(篭池夫妻や大阪維新の政治家や安倍首相をはじめ自民党の多数派)であることは、多くの方がご存知の通りです。

 戦後、新憲法ができ、主権者は天皇から国民へと180度変わったわけですが、この「戦前思想」をきちんと清算できずにいるために、いまだに民主政治=自治政治が根付かず、教育も思考力を育てるものとはならず、パターン知(ただの事実学・技術知)の仕込みで、一人ひとりの精神的自立をつくることができません。いつまでも上位下達(忖度)の集団同調主義で、個人の自由と責任に基づく生き方と社会がつくれないのです。

 いま、日本の精神風土をよきものに変えていくためには、日本の伝統を壊して明治がつくった天皇教(=集団同調主義)を改めることが必須ですが、そのために政治に求められるのが共和主義です。

 国家元首をどうするか?それを天皇だとすれば、明治の国家神道(靖国思想=国体思想)に戻ってしまいます。そうではなく、現代の主権を国民とする民主国家にふさわしく、大統領を選び元首とし、政治の実際は首相があたるようにすればよいのです。天皇は、日本の最大旧家=皇室の長として、文化的な行為を自由に行い、国際親善の役目を担うのがよいでしょう。言論や行為の自由も含めて人権を回復することが急務です。

 共和主義とは、市民・国民が市民精神に目覚め、主権在民に基づく自治政治でダイナミックに国をつくっていく基本思想です。

 天皇一家は、徳川家の江戸城ではなく、京都御所に帰り、よき伝統に根差して自由な生活をすること、政治とは関わらずに(国事行為から解放され)、文化を中心とした生活に戻られるのがほんらいの姿で、自然です。
 現実政治は、すべて市民・国民が、シチズンシップに基づき、全責任をもってつくりあげます。それが21世紀の日本に最もふさわしい共和主義です。共和党をつくらないと、日本に明日はありません。

 共和主義の先駆者は、戦前、東大教授を辞め、大原孫三郎がつくった「社会問題研究所」の所長として活躍し、いまの新憲法の骨子をつくり、戦後改組されたNHKの初代会長となった高野岩三郎です。共和国憲法私案もつくっています。

 
武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」(浦久俊彦著)必読の名著!

2017-08-04 | 学芸

 

 Amazonのお知らせで偶然手にした『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書547)は、知的な悦びに溢れ、あまりに面白く、一気に読んだ。

 これほど優れた本を書く人はどんな人か、浦久俊彦とは名前も知らないが、裏表紙の簡単な紹介文をみて、なるほど。ただの「事実学」を足し算する日本の大学ではなく、高校卒業後、フランスに渡り、パリで音楽学、歴史社会学、哲学を学ぶ、と記されている。

 この見事な全体性と明晰性をもつリストの伝記は、知りたい、書きたい、という思い=欲望が先にあり、その思いは、「事実学」というちっぽけな知を超えて、優れた思考により豊かな意味をもつ「本質学」となっている。極めて明晰、分明で楽しい。

 

 まえがきには次のようにある。

 「単純な疑問でも、情報ではなく、思考で解決しなければならない。・・情報の氾濫によって、世間からかえって知性が失われて、思考が停滞しているように思える。この世のなかで、情報だけで解決できることはほとんどない。・・情報をいくら積み上げても、知性にはならない。」

 「そろそろ西洋の呪縛っから解き放たれた「日本のクラシック」が誕生してもいいころだと思う。そのためには、西洋音楽を聴くだけではなく、西洋音楽をいかに日本の文化にドッキングさせるかを考えるべきだ」

  まさに孤高の作曲家・清瀬保二氏の思いと重なる言葉だ。

  19世紀からの今を考え、知ることは、実に有益です。本書は、細部を学びながら同時に俯瞰的な眼が養えます。音楽関係者のみならず、人間に興味のある方には必読本と思います。 わたしもこれから再読です。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政権により 「国家の破滅に近づいている。」 福田元首相談(東京新聞一面トップ)

2017-08-03 | 学芸


以下は、良識をもつ保守政治家、元自民党総裁・第91代首相の福田康夫氏のインタビュー記事です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人の自由時間を奪うことで、全体一致をつくる。人間性の否定=深い不幸をうむ日本の現状

2017-08-01 | 恋知(哲学)

 こどものころからお受験で、好きにいろいろやってみる、という時間を奪い、すべて大人がつくるプログラムで管理する生活は、こどもの命の力=豊かな人間的魅力を育てません。

 土日の朝から夕方までの野球やサッカークラブに所属する(親の誘導でさせられている)子どもは、「自分の休日」はなく、管理された土日があるだけです。個人性の魅力や個人の独自性は、夢のまた夢で、はじめから組織人です。公共人=社会人とは異なる団体人に仕立てられていきます。

 中学校のスポーツと器楽の部活動は、週6日間、毎日朝の練習があり、早慌てて学校へ、夕方も遅くまで、帰宅が19時ではもう夜です。夏やすみは自由時間がある~~、というのは、昔の話で、いまは部活なのでお盆前後の10日ほどのおやすみだけ。

 わがニッポン人は、どうもアリやハチ、昆虫の属性をもつように躾けられるょうです。戦前の米駐日大使グルーが語っていた通りです。誰のために?なんのために?オランダのジャーナリスト&思想家&大学教授で親日家のウォルフレンは、「人間を幸福にしない日本というシステム」と言います。ひとつの精神世界をもつ私から出発する人生は消去され、システムが命じるままに生きるのです。恐ろしい国です。「レジャーでさえ、どこで何をするかが決められている国」といぶかられます。

 試行錯誤、創意工夫、臨機応変、当意即妙、みな死語で、学習も芸術も遊びもすべて決められている通りにする国の人では、人間とは呼べず、ただの「事実人」に過ぎませんが、そういうことを意識することももうないのかもしれません。なんであれ、自分の欲望=興味・よろこび・たのしみからの出発ではないのです。ううう、底なし。

 かつてドイツではミヒャエル・エンデの『もも』(灰色の男たちー時間泥棒)が空前のベストセラーとなり、それにより、労働時間・学校拘束時間を短縮する国民運動が起こり、いまのドイツがあるのですが、日本は「個人消去=滅私奉公」という戦前からの悪しき思想を清算できないために、自分の時間こそ生きる意味、という大原則が曖昧で、いつまでも非人間的で慢性的イジメのような状況を変えられません。

 外的要請に従う貧弱な個人から、自由な精神世界をもつ豊かな個へ。それを頑張ろうよ、楽しみつつ。わが日本人!

武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする