死んだものはもう帰ってこない。
生きてるものは生きてることしか語らない。
それは、絶えざる囁くような暗いリフレインを操返した。二十年? 何をいってるのか。何故、そのとき、組織のなかで闘わなかったのか。何故、そのとき、組織のそとへ出て原因の探求に精根をこらさなかったのか。このニ十年のあいだに私の知り合っている幾たりかはすでに死んでしまった。その裡のひとりは、自殺し、ひとりは、気が狂った。彼等に、お前達は否定的な影響を受けてむだな自己消費をしてしまったのだといっても、もはや彼等はもとへもどらない。彼等がどんな入念な是正をされても、そこに暗い悲哀はのこるだろう。(「永久革命者の悲哀」)
……確かに「帰ってこない」のであって、「語らない」のではない。「死霊」を読んでる限りじゃ、埴谷雄高には、その語る声が聞こえたらしい。熊野純彦氏の埴谷論を読んでいても何かわたくしにも聞こえる気がしてきたぞ!
……埴谷雄高は死霊になったあとも語るべきである。はやく語ってくれないかな?さっきから待ってるんだが……。