★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

雲よ散れ わが炎の戦車をもて

2013-06-18 22:59:51 | 映画


わたくしは文学での「スポーツ感動もの」を絶対認めんが映画の「スポーツ感動もの」は大好きという、文学研究者にありがちな差別主義者であるが、「炎のランナー」については、どうも複雑な感情を持っている。初めて見たとき、正直なところ「はやく黒人や黄色にやられてしまえ」と思ったからである。オリンピックで優勝し弁護士として活躍して友人たちに見送られて生涯を終えたユダヤ系の主人公に対して、スコットランド国教会で説教するもう一人の主人公は、オリンピックで優勝した後、中国で、たぶん日本軍の収容所で死んだ。この明らかに人を居心地の悪さへと追いやる結末ではなく、彼らが英国のためという目的を表向き遂行しながら、差別への復讐と神の栄光のため(というより……以下略)にオリンピックで勝利する内容の存在感の方が強いのはたしかだろう。下手すると英国讃美にも見えなくもないわけで……。たしかに、オリンピックが民族や宗教の戦いの悲惨を、その現実の代わりにスポーツで昇華させようとする試みであるのは、理屈としてはわかる気がする。しかし、それが「代わり」になっていればの話だ。現実の戦いの悲惨さは決して取り替えがきかない。だいたい、国家や宗教が絡んだ差別や戦争は常に何かの代行として出現しそれが可能なふりをしているからタチが悪いのである。国家が様々な物語を消去するところで成り立つように、宗教にからんだ美しい物語も、国家のなかの外部を、あるいは文字通りの外部を美しく消去する。オリンピックの感動的な描き方とナチスのベルリン大会の仕組まれた「崇高さ」は全く別物という訳ではないのである。

といった一般的な話はともかく、この映画も女嫌いの物語の系譜に属している気がする。主演男優がゲイだったのは偶然だとしても……