雖至天下之為盜賊者亦然、盜愛其室不愛其異室、故竊異室以利其室。賊愛其身不愛人、故賊人以利其身。此何也。皆起不相愛。
なんじの敵を愛せよ、どころではなく、盗賊に他人の家を愛せよと述べるのが墨子である。しかし、盗賊としては他人の家も自分も家も好きだから盗んでしまうのかも知れん。何故に、汝の敵を嫌う前に自分も嫌えとならないのであろう。わたくしの表面的経験に拠れば、よのなか、自分を愛しているから他人が嫌いみたいな奴ばかりであった。まず、愛することをやめねばならぬ。さすれば我々は案外ガンバル。
わたくしの好きな高峰秀子なんか明らかに表情からして「だめな男ね」と私に言っている。言われたつもりで今日もがんばるもう1時かよ(お昼休みの感想)
だいたい、われわれは自分以外が自分を好いていると大いに勘違いしているのである。わしの小さい頃、夏服だと男子がすごく短い半ズボンをはいていたのだが、そこから推測するに、当時昼間は夏は45度を平気で超えていたのではなかろうか。実際は木曽だから18度ぐらいだ。18度で寒い寒いいいながら運動場を暴れ回っているから、お天道様が怒ったのである。本当に暑くなってしまったではないか。かくして、香川県民は30度が15度になったぐらいで、急に夏から冬になったシヌーとかいっているが、木曽は急に25度が氷点下になってるのだ。秋がなくなったと言っているが、今の気温が秋じゃねえか。木曽の山のほうが秋が消滅しとるわ。
昼間から、銭清弘氏の「制度は意図に取って代われるのか」を紹介しつつ授業の資料をつくっていたらいらいらしてきたのだが、坪内さんに倣い「統制書生気質」を執筆したくなった。わたくしは仕事柄明治生まれぐらいにシンクロしているので、三島・安部・吉本……ヤンガージェネレション、大江・石原……赤ん坊、W村上……単細胞、最近の若手……水、ぐらいに思っている。とても雰囲気が出ていると思う。
われわれは、二葉亭が心理模写をしているうちに見失った批評主体をしゃれでもよいから思い出す必要がある。けっこうなインテリゲンチャであるところの私の親でも、わたくしのテキスト評釈的な論文はワケワカメなのに、教育を論じたものはワケワカル。つまり、文章というものは論じられているものであっても、論じられるものではないという大きな壁があることを、ついわれわれは忘れがちである。大学入試の国語の試験でさえ、そういう論じられているものを論じるみたいな感覚が働かないと解けない問題は、「昔から」あった。しかしそもそも壁が解除されていない場合は、急に批判的読解なんかを要求されたりすると、真意をすっとばして部分をけなしたりして、そもそも現代文イラネみたいな心理が出てくる始末だ。
いわゆる「読める」ようになるというのは、文章にいろいろ突っ込みをいれつつ、他のテキストも想起しつつ、相手を真意を推測しつつ、意味がよく分からないところをえいやっと解釈しつつ、対象となる文章に慣れつつ、みたいなプロセスで、――文章に寄り添ったり人物に感情移入したり主張に共感したりするような、おれの庭でおれの体を狙う藪蚊レベルのことではない。繰り返す、文章に寄り添ったり人物に感情移入したり主張に共感したりする藪蚊レベルのことではない、ムヒ塗ろう
佐藤卓己氏の『池崎忠孝の明暗』は、わし、引退したらやるつもりの仕事だったのだ。私のかわりに私の仕事を偉大な書き手が成し遂げて行く。あたかも、意図は私にあり、作品が他人にあるような気がする。――わたくしは読者の気持ちを思いだした気がする。
そもそも意図と作品を結びつけて考えすぎているから、AIと一緒に手塚治虫の新作をつくるとかいう発想が出てくるのだ。手塚は意図から作品をひねり出したわけではない。少なくとも彼が置かれた環境および、彼が形作った彼のなかでの環境を再現しなければならない。手塚治虫の新作とかいっても、あれだろ、ブラックジャクがピノコに子供産ませてそいつがナチスになってみたいな話にはせんのだろ?手塚治虫ってあんなに天才なのにどこかしら親しまれすぎて舐められてるところがある。手塚自身が晩年、手塚治虫っぽい絵になっていったところも関係ありそうだ。マイナーであるしかないおもしろさを持ってるかどうかみたいな観点は非常に重要だったはずだが、まあ形式的な審査ばっかりやってりゃ消滅する。手塚には、どことなくマイナー性が最後までつきまとっていたと思う。わたくしがそう思うのは、彼が死ぬ間際に書いていた「グリンゴ」が印象的だったからかも知れない。彼は日本人のマイナー性に接近しようとしていたと思う。
昔の儒教やら仏教やらが人間の多様性を無視した乱暴なことになっているのはある側面についてはそうかもしれないが、人間をそうバカにしたものではなく、差別や性の様々な面なんかにも気づいた上で練られ社会性に向かっていた面もあると思う。批判的知性がすぐ蔑視にスライドする、これこそメジャーというやつである。マイナーはその反対である。