★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ルッキズム的愉快な日々

2024-10-08 23:39:15 | 文学


きゅうに寒くなりましたから、頭が働きません。

私は少女のころから古い物が好きで、骨董とまではいかないが家中に古物がひしめいている。その古物の中に古びた私が居坐っているから、わが家はまるでお化け屋敷である。


ここまでくると、高峰秀子様はただの骨董趣味の男――たとえば小林秀雄も凌いでいるといえる。小林の場合はどことなく骨董趣味も転向の一種という気がするが、秀子様は非転向だ。しかもその骨董趣味は水木しげるに通じる道を示している。

そういえば、そもそも名前的に、小林秀雄と高峰秀子、どことなく似ており、秀を軸に非対称なのであった。つまり秀子様の勝ちである。顔も秀子様の勝ちであるがあまりに自明なのでいままで言わなかっただけだ。

マルクスが美人の幼なじみと結婚したのはマルッキズムによる(←黙れ

最近駅で聞いた男子高校生の会話で面白かったのは、――「おれの顔、七十五歳の浜辺美波には勝ってる気がする」「いや負けてるだろ」であった。

今日の授業中の問題発言は次の通りである。

「トランプはまあ近くに居る牛に似ているんだろうな。言語と動物との接地問題だ」

トランプの国会突入問題のときにも論じられてたが、正直なところ、これからの政治家は動物を思わせるかがあれになってくると思う。いまの首相もどことなく歩いている牛を思わせる。小泉以降の首相がみんな人間しか感じないのと対照的である。石破氏はもしかしたら、仙厓義梵の「犬」みたいにかわいく見えてくる資質がある。

教育界は、指導要領に従って資質みたいなものにとらわれている。これだって、単に馬鹿とは言いきれない。子供に犬や猫を見ようとしているかも知れないからだ。みんな新たな「顔」が欲しいのだ。

そういえば、綿矢りさ氏のことは作品以外まったくしらなかったが、京都の生まれで東京の私大、太宰治が好きで小説かけると思った、など『すばる』に載ってた講演録で知った。がっ、まったくイメージ通りである。作品から作者のイメージまでつくられてしまうことは、まさに太宰的でもある。これに対して、おなじ雑誌に載ってた最果タヒ氏の、太宰の「顔」についてのエッセイなぞ、大きく大衆の欲望に逆らうもので、やはりこのひとは古典的な近代文学の末裔なのである。