『無論それは僕なんぞに解らないんです。アノ人の言ふ事行る事、皆僕等凡人の意想外ですからネ。然し僕はモウ頭ツから敬服してます。天野君は確かに天才です。豪い人ですよ。今度だつて左樣でせう、自身が遠い處へ行くに旅費だつて要らん筈がないのに、財産一切を賣つて僕の汽車賃にしようと云ふのですもの。これが普通の人間に出來る事ツてすかネ。さう思つたから、僕はモウ此厚意だけで澤山だと思つて辭退しました。それからまた暫らく、別れともない樣な氣がしまして、話してますと、「モウ行け。」と云ふんです。「それでは之でお別れです。」と立ち上りますと、少し待てと云つて、鍋の飯を握つて大きい丸飯を九つ拵へて呉れました。僕は自分でやりますと云つたんですけれど、「そんな事を云ふな、天野朱雲が最後の友情を享けて潔よく行つて呉れ。」と云ひ乍ら、涙を流して僕には背を向けて孜々と握るんです。僕はタマラナク成つて大聲を擧げて泣きました。泣き乍ら手を合せて後姿を拜みましたよ。天野君は確かに豪いです。アノ人の位豪い人は決してありません。……(石本は眼を瞑ぢて涙を流す。自分も熱い涙の溢るるを禁じ得なんだ。女教師の啜り上げるのが聞えた。)
――石川啄木「雲は天才である」
よくきく都市傳説で、東大入ったら天才がいて自信なくしたみたいな話は、高校の進学校で実はもう気付いていたことを誤魔化しているだけであろうし、東大だけでなく津々浦々の大学で起こっていることだ。小学校でも起こっている。そしてそれは相手が天才じゃなく、少しの違いで自分が劣ってるかも知れないと、三年生ぐらいで、つまりかなり後になって気付いたことの言い訳である。天才は自分の視野の外から急襲するものであって、ショックをうけている暇はない。
そもそも自称天才、他称天才が多すぎる。
あと雲は天才です。
――それはともかく、文学界において一番天才が多いのは短歌の世界ではないか。小説史、批評史、詩史、短歌史すべて授業でほんと雑にやってみたが、いちばんやってて面白かったのはいま主題科目でやっている短歌史であることだ。ヒューマンとしてあかん奴らばかりだし、定期的に滅亡論やってるのもいい。