★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

二度死んだ手塚治虫

2010-09-12 23:44:56 | 漫画など
朝から共同観念とか共同幻想について頭をひねっていたので疲れて、手塚治虫の「アヴァンチュール21」(秋田文庫)を読んだ。

脳みそが発達した兎を飼い主の少年から奪い改造して、兎人間を作る。で、人種や国やらの対立をもつ寄せ集めのメンバー(少年含む)が、その「かわいい」兎人間とともになぜか地底に潜るが、「みにくい」昆虫人間やら鬼人間たち──地底人に出会って、彼らを殺したあげく地上に逃げ帰ろうとする。その過程で「かわいい」兎人間が、「人間」になりたくて自分を犠牲にして少年を助けて死ぬ──そんな話。

唯一生き残った少年が死んだ兎人間を抱きしめる場面が上の画像。

ちなみに、この兎人間は、病気の少女に言葉を教わった





(たぶん)男である。




こういう複雑な情況で主人公格が泣いたり目を伏せたりする場面を描かせたら、手塚治虫は宇宙一。

さすが手塚治虫、機械と生物、動物と人間、かわいらしさと醜さ、正義と悪、男と女、子どもと大人、などあらゆる対立観念を用い、巧妙に組み立てている。我々はもうこんなにさまざまな対立を止揚できないのではなかろうか。カルチュラル・スタディーズもポスト・コロニアリズムもその現れである。手塚はやはり戦中派だなあ、と思う。死への近さは止揚を決断させる。

手塚の本の最後についている「読者の皆様へ」には、手塚の作品は差別的な描写があるけど、「人間愛」や「生命の尊さ」が根底にあるから許して、と書いてある。

どちらかと言えば、手塚が人間よりも兎人間とかの方を好きなのは明らかだと思うけど、よく言われているから別に今更わたくしが言うことでもなし。死に近づいた人間が、本当に人間愛や生命の尊さに目覚めたことがあったか。わたくしは、それを手塚を読んでも――疑う。


最新の画像もっと見る