一月の末で、おとといはここでもかなりの雪が降った。きょうは朝から陰って剣のように尖った北風がひゅうひゅうと吹く。土地に馴れている堀部君は毛皮の帽子を眉深にかぶって、あつい外套の襟に顔をうずめて、十分に防寒の支度を整えていたのであるが、それでも総身の血が凍るように冷えて来た。おまけに途中で日が暮れかかって、灰のような細かい雪が突然に吹きおろして来たので、堀部君はいよいよ遣り切れなくなった。たずねる先は渾河と奉天との丁度まん中で、その土地でも有名な劉という資産家の宅であるが、そこまではまだ十七清里ほどあると聞かされて、堀部君はがっかりした。
日は暮れかかる、雪は降って来る。これから満洲の田舎路を日本の里数で約三里も歩かせられては堪まらないと思ったので、堀部君は途中で供のシナ人に相談した。
「これから劉の家までは大変だ。どこかそこらに泊めてもらうことは出来まいか。」
――岡本綺堂「雪女」
今日のクライマックスは、演習の発表者の学生が「アドルム三〇〇錠」と言ったとき。田中英光ってまだストレイドックスに出てきてねえらしい。出てきたときは、コミュニスト的アドルム連射とか「あなたはほんとに僕のことが好きだったのでしょうか」としか言わない幽霊を口から出す最強のモンスターであろう。
しかし闘争心だの憎悪だのというものは、ある意味で人間の日常を、すがすがしくまた生き生きとさせるものですな。
――梅崎春生「ボロ家の春秋」
闘争心は梅崎よりも田中英光である。
今日は批評史の最後の授業で、内田・宮台・東・千葉を「批評の終わり」4人衆として賛美した。誠にありがとうございました(完)
彼らの特徴だって闘争心である。闘争心に邪心はない。むかしから、バンドをやったのは女の子にもてるため、教養を求めたのは女の子にもてるため、とかいう理由は本人が半分以上嘘ついている。だいたい闘争心溢れる御仁たちが照れてるに決まってるじゃないか。音楽や文章が好きだからやってただけでしょうが。ほんとにモテたいやつは、そんな回りくどいことしないでナンパに勤しむ。むかし、学生運動のセクトの旗を振りたがる奴はモテたいだけだった、みたいな言説があったけど、これもある程度はウソである。たしかに、オルグで女の子を使うのはあったであろうが。
わたくしはシラノの恋みたいな敗北を嫌う。むしろ恋文の代筆をしているうちに、その相手の男を寝取ってしまい、相手が本気になると積極的に腎虚に追い込む好色一代女のほうを好む。恋愛だって闘争心の一種である。