印象批評とは良識批評であつた。その源はモンテエニュの批評文学にまで遡るモラリストの批評であつた。残念な事には、わが国の所謂印象批評に、さういふ確固たる近代的性格があつたわけではない。
――小林秀雄「文芸批評の行方」
小林的モラリスト批評に対して戯作的な穿ちを有効とみるか、みたいな問題はいまだに問題で、それは批評の業界だけの問題ではない。(問題3回)そして、それは研究の業界でも批評理論で武装したからその問題が終わったわけではない。
わたくしは、上の問題に無縁なものにはいままで興味がなかったが、短歌の授業をやってみて、かえって、それは何かからの逃避であるきがしてきたものだ。それは谷川俊太郎の問題ともかかわっている。わたくしが、断固俊太郎の親父の方を支持するで、とか言っていたのも上記のモラリスト的問題に親父が関わっていたからにすぎない。
そもそも親父の徹三の方が94まで生きているわけで普通に息子の負けなのであるが、息子が最後まで危険な帯域をさける御仁であったのにたいし、天皇崩御のときの徹三氏の文章はある意味一貫していた。『世界』といった雑誌は、そういう一貫した意見がのるために用意されたに違いない。
澁澤 〔稻垣足穗は〕未来とか何とかいっても、結局みんな過去なんですね。時間概念としては仏教的だな。
三島 過去なんですよ。それはお能とぴたり合うんです。お能は、ドラマがみんな終っちゃたところからはじまるでしょう。〔略〕みんな過去なんですからね。
――三島由紀夫・澁澤龍彥「タルホの世界」
わたくしは、それが仏教的かどうかはともかく、ドラマが終わったところから始まるみたいなドラマは、歴史が長いみたいな感覚に言い換えに過ぎない気もするのである。この長さを宇宙の広さにしても同じ事だ。息子の「二十億光年」の詩なんかは、みんな過去であり始まりでもある天皇制的なものである。父は、こんな風には考えなかった気がする。
先週、吉本隆明の「短歌命数論」についての講義の準備をしているときに、やはり吉本は、この時期までは、ほんとに五七調が終わったときのことまで考えていたのだと思う。しかし、歴史は、吉本の方向にも、かれが批判した小野十三郎たち(短歌否定論者)が考えた方向にも行かなかったように思う。
そのエビデンスが息子である。数年前に谷川俊太郎についての授業やったときにも思ったけど、このひとは詩人というより「国民歌謡」の異能者という感じなのだと思う。わたくしは、谷川が人々に読まれすぎて抑圧されてしまったものがすごいと思うのであくまでマイナー詩人の味方をしたいと思っているのだ。しかしそれ以上に、わたくしでさえ、――だいたいいつ頃からかわからんが、童謡的国民歌謡の時代がながく続いていることぐらいは自覚しているのである。JPOPもその一部で、もはや萬葉以前的なところに逝ってしまったんだ「二十億光年の孤独」とか言うてるあいだに。息子の「孤独」が全く孤独ではなかった証拠である。
しかし、現在のように――民主主義はとくにそうなんだろうが、「お前に言われたくない」みたいなことをお互いに思うようになると全く機能しない。ある意味、君主への帝王学みたいなことをすべての人間に行う必要がある。ここにだけ、天皇制が終わってからかえって我が国が優位性をもつポイントがあったような気がする。
さっき、大河ドラマで紫式部が道長をすてて旅に出ていた。どうやら、太宰府で昔の宋の恋人に会い、戦乱に巻き込まれるようである。当時だって紫式部にとっては、摂政関白も天皇もどうでもよかった。しかし、そういう思い切りがよすぎる人が大胆に行動すると、――例えば、どさくさに紛れて中国に渡りチンギス・ハーンになったりすると、やつの才能ならいける、とはいえ、元寇以降の日本はもはや日本ではない。幸か不幸か、わたくしなんかもいないであろう。
わたくしの妄想もまた、過去を弄んでいるだけで、ながい国の歴史に依存している。