★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

間隔法

2024-04-22 23:39:28 | 文学


鄢陵の戦は左氏の文中白眉なるものとして、讀書子の推賞措かざる所なり。文に曰く
楚子登巢車以望晉軍。 子重使大宰伯州犂侍于王後。王日。而左右。何也。日召軍吏也。 皆聚于中
軍矣。曰合謀也。張幕矣。曰虔卜於先君也。徹幕矣。日將發命也。甚躑且塵上矣。日將塞井夷竈而
爲行也。皆乘矣。左右執兵而下矣。 日聽誓也。 戰乎。 日未可知也。 乘而左右皆下矣。日戰禱也。
此章を讀むものは一見して其間隔法に於て Ivanhoe と暗合するを知るべし。もし間隔法を度外にして、此文の妙を稱せんとせば、稱する事日夜を舍てずと雖ども、遂に其妙所を道破し得ざるべし。Rebecca の記述せるは眼前の戦なり。楚子の説明を求めたるも眼前の事なり。眼前とは咫尺の距離を意味するのみならず、又現在を意味す。是に於てか先に陳腐にして顧みるに足らずとせる歴史的現在法も、ある變形を以て、ある敘述に包含せらるゝときは、有力なる幻惑の要素を構成すべきかの問題に入る。之を解釋せんには、先に繋げたる二例のうち、幻惑を生ずる上に於て、時の間隔が擔任せる比例は若干に値するかを發見すれば足る。此比例を見せんには此間隔法を含有せざる作例を檢して其效果を明かにするを以て捷徑なりと信ず。


――漱石「文学論」


そろそろ「文学論」を講義にかけるか。。。


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